【活動報告】2023.11.26古地図散歩の会

~赤坂 氷川神社境内にて~

 『江戸城外堀一周』の3回目。今回のコースは、溜池山王から四ツ谷まで外堀跡の周辺を巡る散策でした。スタートは、江戸初期に飲料用水の水源として作られた「溜池」があったあたりから。二二六事件の反乱軍司令部のあった山王パークタワービルは、今はドコモの本社ビル。ここからしばし赤坂の街を散策です。

 勝海舟は赤坂に縁が深く、江戸から明治にかけて3回住んだのだとか。彼の住んだ家の跡地を3か所巡りましたが、2箇所に記念碑と銅像が建っていました。

 坂を上って赤坂氷川神社にお参りに行くと、都心のど真ん中とは思えない静けさ。神社の建立時(1730年)に奉納された当時の老中の名前が刻まれた石灯篭。深川の鋳物師「太田六右衛門(通称 窯六)」の名前の刻まれた天水桶。300年前に作られた実物を目の当たりにして時間が止まったかのごとき感覚を覚える神社の境内でした。

 途中休憩した赤坂Bizタワーのハリーポッターcafé周辺は異国情緒が漂います。この辺りは再開発によってこれからますます昭和の香りが消えゆく気配でした。

 赤坂の飲食店街を抜けて外堀の門の一つ「赤坂見附門跡」に向います。史上最悪のホテル火災の起きたホテルニュージャパンの跡地には巨大な外資系生命保険会社のビルが聳え立っています。

 赤坂見附門跡から紀尾井町へ。紀尾井町の名(紀州・尾張・井伊)の一画をなす紀伊徳川家屋敷跡は、現在は赤坂ガーデンテラス紀尾井町。井伊家屋敷跡は明治以降、伏見宮邸を経て、戦後ホテルニューオータニへ。広い大名屋敷の跡地は大きく変貌しています。

 ホテルニューオータニの建物は老朽化しましたが、庭園に入ると別世界!!
 この敷地は、井伊家の前に加藤清正が屋敷を構えていたのだとか。美しい庭園の中にある池には加藤清正が愛でたという『庭石』がそのまま残されていました。庭園のあちこちには石灯篭が置かれています。これらは戦後焼失した上野寛永寺再建のために払い下げられた徳川家に奉納されたもの。これを多く買い取った大富豪の創業者「大谷米太郎」は、元大相撲力士だったというのですから驚きます。

 紀尾井坂の途中に清水谷公園があります。ここは大久保利通暗殺事件があった場所の近くにあり、大久保利通公哀悼碑を建てるために整備されたのだとか。哀悼碑の巨大さに圧倒されました。

 江戸城外堀の「食違見附門」は、岩倉具視の暗殺未遂事件の起きた場所。ここから本日の終了地点の四ツ谷駅までの外堀は「真田濠」と呼ばれます。真田幸村の兄、真田信之が掘ったこの場所は埋め立てられて現在は上智大学のグラウンドになっています。外堀の土手を四ツ谷駅に向かって歩いていくと、外堀の中を赤い丸の内線が走っていく光景に遭遇。見所満載の歴史旅の一日となりました。

 次回の古地図散歩は来春を予定しております。皆様のご参加をお待ちしております。

『古地図散歩の会』世話人 深田武寛

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