今回の群馬古墳巡りフィールドワークの企画は、筆者がたまたま目にした「古墳王国 群馬」に関する記事を読んだことから始まりました。そこには、群馬県に東日本の「古墳王国」と呼ばれるほど多くの古墳があり、近年、築造当時の姿に復元したり、多数の埴輪の行列や独特な石室を公開したりと、往時の様子や歴史を伝えてくれることが書かれていました。この情報を縁日会のメンバーに共有したところ、是非フィールドワークしようということになった次第です。
実施日 : 2025年11月13日(木)
参加者 : 6名
ルート :高崎駅(9:15出発)→ 保渡田古墳群(二子山古墳/八幡塚古墳)→
かみつけの里博物館 → 総社古墳群(宝塔山古墳/蛇穴山古墳)→ 総社歴史資料館 →
ランチ → 観音山古墳 → 群馬県立歴史博物館→高崎駅(16:00解散)
当日は、高崎駅に集合し、運転手兼ガイドをして頂ける観光タクシーを利用して、高崎市および前橋市周辺の古墳などを巡ることとなりました。
まず初めに向かったのは高崎市の「かみつけの里」で、ここには保渡田(ほどた)古墳群やかみつけの里博物館などがある歴史公園になっています。中でも、保渡田古墳群は、5世紀後半から6世紀初頭にかけて造られた3基の前方後円墳の総称で、まず二子山(ふたごやま)古墳、次に八幡塚(はちまんづか)古墳、薬師塚(やくしづか)古墳の順に造られ、当時、榛名山麓を治めた有力豪族の墓所として国史跡に指定されています。

かみつけの里 配置図 (出典:高崎市ホームページ)
- 二子山古墳
二子山古墳は墳丘長108mの前方後円墳で周囲に内堀と外堀を巡らせ、総長は213mになります。ちょうどこの季節、内濠と外濠にはコスモスが咲き乱れていました。この古墳の特徴としては、祭祀に使用されたと推定されている内堀に作られた4つの円形の中島があることです。後円部墳頂では2基の埋葬施設が見つかり、このうち舟形石棺からは玉類や武具、馬具、農工具などの破片が出土しています。

濠に咲くコスモスに囲まれた二子山古墳
- 八幡塚古墳
八幡塚古墳は、二子山古墳と同様に内濠に4つの中島を配した前方後円墳で、墳丘長102メートルと二子山古墳より若干小ぶりな古墳ですが、現状は1500年前の姿が再現されていて、内堤の一角には、人物・動物の形をした埴輪群像が復元されていました。この埴輪が並ぶ八幡塚古墳の風景から、今年3月に実施した堺・大阪FWの3日目に訪れた埴輪が並ぶ今城塚古墳を思い浮かべた参加者も多かったと思います。

八幡塚古墳を背景に

濠の上に並ぶ埴輪
- かみつけの里博物館
榛名山麓に広がる古代文化、保渡田古墳群を紹介する考古博物館で、榛名山東南麓で出土した5世紀後半(古墳時代)の人物・動物埴輪や当時を再現した模型などが展示されていました。

かみつけの里博物館と展示物
かみつけの里の次は、前橋市の総社(そうじゃ)古墳群へ移動しました。総社古墳群は、利根川西岸の南北約4Kmにわたって残る古墳6基があるエリアで、5世紀後半から7世紀後半にかけてこの地域を治めた豪族の墓とみられています。今回はそれらの内、宝塔山古墳(ほうとうざんこふん)と蛇穴山古墳(じゃけつざんこふん)を巡りました。
- 宝塔山古墳
宝塔山古墳は、一辺66m、高さ12mの大型方墳で古墳時代終末期の7世紀末から8世紀初頭頃に造られたと推定されています。横穴式石室内の玄室には仏教文化の影響が見られるとのことでした。

宝塔山古墳の石室にて
- 蛇穴山古墳
次に、宝塔山古墳に隣接するの蛇穴山古墳へ移動しました。古墳名は石室奥壁に江戸時代に刻まれた蛇の図があることに由来しているとのこと。宝塔山古墳と同じく方形墳で、一辺44m、高さ5mとやや小ぶりな古墳です。横穴式石室は、截石切組積みによって整美に構築されていて、玄室・前庭部のみの構成になっています。

蛇穴山古墳の石室にて
- 総社歴史資料館
次に、総社歴史資料館を訪ねました。この資料館は、総社古墳群の出土品や模型を始め、総社地区に残された文化財や歴史についてジオラマやCGなどを使って展示されていました。

総社歴史資料館の展示を巡る
総社歴史資料館の後は前橋市内のレストランに移動し、ようやくランチタイムとなりました。

イタリアンランチで一休み
ランチ後は高崎市内に戻り、観音山古墳(かんのんやまこふん)と群馬県立歴史博物館を巡りました。
- 観音山古墳
観音山古墳は、墳丘長97mの前方後円墳で、6世紀後半に造られたと推定されています。墳丘上に並べられていた埴輪や盗掘を免れた横穴式石室からは多くの副葬品が出土していて、これらの幾つかは次に訪れる群馬県立歴史博物館に展示されています。横穴式石室の玄室は群馬県内では最大規模で、このことから観音山古墳の被葬者は、東国屈指の豪族であり、また中国や朝鮮半島とのかかわりがあるものが多いことから、国際的な繋がりがあったと推定されています。ここで忘れてならないのは、石室内を案内して頂いた観音山古墳のガイドさんの存在です。とてもユニークな語り口で、石室内への光の到達具合などについて解説して頂きました。

観音山古墳とその石室にて
- 群馬県立歴史博物館
群馬県立歴史博物館では、関東内陸部に位置する群馬県地域の歴史民俗資料が数多く展示されています。特に見どころとしては、2020年に国宝に指定された観音山古墳の出土品を常時展示する国宝展示室があり、銅水瓶や金銅製馬具などの副葬品や埴輪群像を見ることができます。珍しい埴輪としては、三人の巫女が並んで座っている三人童女がありますが、今回は写真のみの展示になっていました。

群馬県立歴史博物館(左)と古墳からの出土品の展示(右)
かつて2022年6月に埼玉県の「さきたま古墳群」をフィールドワークした際には、稲荷山古墳や丸墓山古墳などの前方後円墳に加えて、雄略天皇に仕えていた人物がその功績をたたえるために作らせたとされる国宝「金錯銘鉄剣」が展示されていました。この鉄剣ほどヤマト王権との直接的な関係を示す遺物はなかったものの、今回の訪問地巡りを経て、ヤマト王権の影響が推測される数多くの古墳が存在していることから、この地域にも畿内ヤマト王権との強いつながりがあったことを感じ取ることができました。
群馬県立歴史博物館を最後に盛り沢山の訪問地を巡り終えて高崎駅に戻り、16時過ぎに帰宅の途に就きました。
記 : 増山憲司(一期生)


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