今回の読書会では、世代論から自然体験、人体のミクロ世界、言葉の仕組み、そして監視社会と長寿戦略まで、テーマの振れ幅がたいへん大きい“知の寄り道フルコース”となりました。紹介者それぞれの視点が光り、議論は本の外へ外へと広がり、最後はいつものように(だいたい)笑いで着地。以下、紹介本の概要と当日の話題をまとめます。
『Z家族 データが示す「若者と親」の近すぎる関係』/博報堂生活総合研究所/博報堂生活総合研究所
Z世代とは1997年~2012年頃生まれ。物心ついたときからインターネットがあり、スマホは空気のような存在。そんなデジタルネイティブ世代と親との関係を、30年前の若者データと比較しながら分析した一冊である。驚くのは「反抗期がほとんど見られない」という指摘だ。かつての“父は怖く母は台所”の時代とは違い、今や親は理解者でありアドバイザー。特に母親は高学歴化・就業率上昇を背景に、娘だけでなく息子にとってもメンター的存在となっている。
20歳を過ぎた子とプレゼントを交換する親は、母69.5%、父50.2%。息子と母が服を共有し、父と娘が趣味で出かける。昭和世代が聞けば「それは漫画か?」と言い出しそうな世界である。さらに若者は、目立たず、否定せず、安心できる関係を重視する。友人より親の影響が強い商品分野も多く、「若者に売るなら親に売れ」という逆転現象も起きている。
紹介後は、我々60~70代の親子関係との違いで大盛り上がり。我が家のプレゼント事情の暴露大会となり、なぜか渋谷百軒店の道頓堀劇場の思い出話へ脱線。さらに「今の若者はChatGPTに人生相談するらしい」と聞き、「うちの孫は私よりAIの方が信用できると言った」との証言まで飛び出し、笑いと軽い衝撃が交錯した。

『酵素のちから―生命を支える』/左右田健次/岩波書店(岩波ジュニア新書)
「洗剤に入っているやつでしょ?」と思ったら、ぜんぜん甘くない。酵素は生命がつくり出す触媒で、自分は変化せずに化学反応だけを爆速に進める“縁の下の超優秀スタッフ”である。消化、代謝、遺伝情報の発現まで、酵素がいなければ生命活動は交通渋滞どころか、そもそも道路が開通しない。本書はその酵素を、科学史も交えつつ、きわめて正攻法で解説する。特に面白いのは「基質特異性」。酵素は“何でも屋”ではなく、“この相手にしか働かない職人”だ。
アミラーゼはデンプン、ペプシンやトリプシンはそれぞれ特定のタンパク質に作用する。さらに日本の誇りとして、高峰譲吉が1894年に発見し、消化剤として実用化したタカジアスターゼの話も出てくる。世界初の酵素製剤というだけで、当時の興奮が伝わってくる。日本酒づくりで麹のアミラーゼがデンプンを糖化し、酵母がアルコール発酵へつなぐ流れ、歯磨き粉や臨床検査、血栓治療への応用など、身の回りの“酵素だらけ”にも気づかされる。
紹介後は、来月の課題本と勘違いして今回読んでしまったAさんが「ジュニア向けって聞いて油断した。読んでるうちに脳が酵素分解されるかと思った」と力説。そこから「岩波ジュニア新書は“ジュニア”の皮をかぶった本気枠だ」という結論に落ち着き、なぜか洗剤売り場の前で成分表示を読む人が増えそうな気配で散会した。
『翠雨の人』/伊予原 新/新潮社
猿橋賞は新聞に必ず載る。だから「女性科学者を顕彰する賞」という知識だけは多くの人が持っている。だが、その創設者である猿橋勝子博士を、どれだけ具体的に語れるだろうか。本書は、女性初の東大地球科学博士として放射線量分析で世界的評価を得て、女性科学者の育成にも尽力した猿橋の生涯を、ドキュメンタリー風に描く。序章と終章の“呼応”がまず見事で、読後に「あ、ここがつながるのか」と静かに膝を打つ。理学の道へ転じた経緯、気象台研究部(現気象庁気象研究所)で地球化学へ入っていく偶然、そして地道な実験の積み重ねが、淡々と、しかし確実に積み上がっていく。女性であるがゆえの苦労は当然あったはずだが、そこを過剰にドラマ化せず、むしろ“粘り強い研究者の背中”で語らせるのが伊予原作品らしい。
クライマックスは米国の著名学者との検出精度対決。完全アウェイ、しかも女性一人という不利な条件で勝負をやり切る場面は、科学版スポ根のようで胸が熱くなる。さらに第五福竜丸事件、米ソなど大国による水爆実験の無責任、核実験禁止条約へとつながる流れも描かれ、科学が社会を動かす瞬間を実感させる。
紹介後は「なぜ日本は理系女子が少ないのか」に話が飛び火。教育の問題か、家庭か、社会の空気か。猿橋賞が“いつか不要になるのが理想”というオマケ話に、「理想だけど、まだ必要だよね」と一同しんみり。ところが最後は「うちの孫娘にこの本を渡したら、理科の成績が上がる前に親の口数が減るかも」と、妙に現実的な期待で笑って締まった。

『ゲッチョ先生と行く沖縄自然体験』/盛口満/岩波書店(岩波ジュニア新書)
沖縄は好き、海も好き、という人は多い。しかし「沖縄=ひとつの島のようなもの」と思っているなら、本書はその思い込みを気持ちよく壊してくれる。ゲッチョ先生こと盛口満が、姪と甥を案内役に、沖縄島南部からヤンバル、与那国、石垣、西表、宮古へと連れ出し、植物・生物・土壌・島の成り立ちの違いを“体験”として語らせる構成だ。読者は、説明されるというより、疑似フィールドワークをしている気分になる。北琉球・中琉球・南琉球に分かれ、海峡(深海域)が生態系の断絶線になるという視点がまず効く。
自然環境だけでなく、言葉や生活様式・文化にも同じことが言えると示され、「沖縄」と一括りにしてしまう雑さが、だんだん恥ずかしくなる。しかも途中に挟まれる“知らなかった小ネタ”が強い。イカは何の仲間? 魚の耳石? 目玉に骨? 人工ビーチの見分け方?——読書会の場でも、出題されるたびに「それ、クイズ番組なら100万円だね」と妙な盛り上がりを見せた。
紹介後は自然から歴史へ話が転がり、琉球王国、奄美大島、種子島は琉球だったのか日本だったのか論争へ。さらに奄美の砂糖が薩摩藩財政を支える一方で、凄まじい収奪があったという話題に及ぶと、空気が一段重くなる。ところが最後は「じゃあ次に沖縄行くとき、海だけ見て帰るのは罪だな」「でも海も見たい」と、結局欲張り宣言でまとまった。読了後、天気予報で“先島諸島”と言われるたびに、脳内でゲッチョ先生が小さくうなずくようになった。
『細胞を間近で見たら凄かった―奇跡のようなからだの仕組み』/小倉加奈子/筑摩書房(ちくま新書)
人体の本は数あれど、本書の売りは“見立て”の巧さだ。五臓六腑や血液、栄養素、体液、そして細胞の世界を、ツアーに参加して巡る形で案内してくれる。「ジェット消化器ツアー」「風かおる呼吸器ツアー」「からだ交通網 循環器ツアー」「免疫サファリパーク」など、ネーミングだけで旅情がある。しかも内容は決して健康法の怪しい煽りではなく、あくまで人体の仕組みを理解するための“科学ツアー”。手書きの楽しいイラストが、難所をさらっと越えさせる。
読んでいると、体が巨大都市に見えてくる。小腸の表面積はどれほどか、肺胞の総表面積は、血管の総延長距離は——数字の桁が大きすぎて、もはや「私という人間は国土なのか?」という気分になる。免疫細胞の働きの違い(T細胞、B細胞、NK細胞、好中球…)も、サファリの動物に例えられ、妙に腑に落ちる。著者が病理医で、なり手が少なく“絶滅危惧種”と言われるという話も、現代医療の裏側を覗いた気がして印象的だった。
紹介後は、以前話題になったNHK「3ヶ月で学ぶ人体」との共通点に触れつつ、「この本を読んだら、外食しても“胃相・腸相”が気になって味が半分になるのでは」と心配する声も。さらに「五臓六腑の一つは不明」という養老孟司説が持ち出され、「じゃあ私の“六腑”はどこに置き忘れた?」と、なぜか“体内忘れ物探し”で笑いが起きた。読書会の帰り道、皆が少しだけ背筋を伸ばして歩いていたのは、たぶん気のせいではない。

『パンチラインの言語学』/川添愛/大和書房
名作には名ゼリフがある。では、その名ゼリフ(=パンチライン)は、なぜ人の心に刺さるのか——という問いを、言語学の視点から料理したのが本書である。
扱う素材が映画やアニメ、漫画、日常会話と幅広く、「言語学って、こんなに身近なものを相手にするのか」と入口の敷居を下げてくれる一方、読み進むと、言葉の構造を見抜く目の鋭さに驚かされる。例えば映画『テッド』の「フラッシュ・ゴードンが来てる」。フィクションと現実の境界を認めたくない登場人物の心理が、短い一言に凝縮される様子を解きほぐす。また『機動戦士ガンダム』の「偉い人にはそれが分からんのです(よ)」では、終助詞「よ」の有無が表現のニュアンスをどう変えるかに踏み込み、漫画では使われてもアニメでは消える現象にまで目を向ける。軽く読める体裁なのに、読後には“言葉の観察眼”が自分に少し移植された気分になる。
紹介後は、当然のように「自分の人生のパンチラインは何か」大会が始まった。「それ、前にも聞いたよ」「その結論、早いよ」「知らんけど」など、普段は流している言葉が、急に研究対象になる。挙げ句の果てに「読書会で一番強いパンチラインは“今日はこのへんで”だ」と誰かが言い、全員が深く納得してしまった。次回から、帰り際にその一言を言う人の“間”が妙に上手くなるかもしれない。
『一九八四年』/ジョージ・オーウェル/早川書房
読むと気分が暗くなる、胸糞悪い、二度と読みたくない——そう言われがちなディストピア小説の古典だが、近年また注目されているのは、AIやビッグデータが当たり前になった現代に、監視と統制の影が現実味を帯びてきたからだろう。
舞台は1984年、ビッグ・ブラザーの一党独裁国家オセアニア。主人公ウィンストンは真理省で歴史改ざんに従事し、体制に疑問を抱くが、恋人も上司も協力者も巧妙な罠の一部で、反体制分子として逮捕され、凄惨な拷問と洗脳により“正しい心”を植え付けられて終わる。恐ろしいのは仕組みの完成度だ。至る所の監視装置テレスクリーン、矛盾を矛盾のまま信じるダブルシンク、「批判に至る思考そのもの」を封じるニュースピーク。言葉を削れば、反逆する発想も削れるという発想は、現代のSNS炎上や“言い換え”文化にも不気味に重なる。
紹介後は当然、監視社会談義に突入。中国やロシアの話から始まり、「いや、我々はGoogleに全部差し出している」と矛先がこちらに向く。生成AIがニュースピークを量産したらどうなる、検索履歴が真理省に渡ったらどうする、と冗談半分で言いながら、笑いが乾いていく。最後は「怖いからこそ読む価値がある」「怖い本を怖がれるのは正常」と、なぜか安心して散会した。帰り道、皆がスマホのマイク権限を一度見直した…かどうかは、ダブルシンクの彼方である。

『ライフ・シフトの未来戦略』/アンドリュー・スコット/東洋経済新報社
長寿は「危機」ではなく人類の成功の証——著者アンドリュー・スコットの主張は明快だ。問題は寿命が延びたことではなく、短命前提で作られた教育・雇用・引退制度や人生設計の型が、そのまま残っていることにある。
人生100年時代にふさわしい社会へ、経済と個人の双方を再設計せよ、というのが本書の骨格だ。第一部では「年齢観の更新」と「老いの理解」が語られる。老いは衰退だけではなく、経験や判断力が伸びる側面もある。第二部は健康革命、長寿の経済的配当、そして「教育・仕事・引退」という単線モデルからの脱却へ。第三部は世代間対立ではなく協力、そして人生の意味へ話が進む。結局、人生の質を決めるのは健康だけでもお金だけでもなく、人とのつながりだという結論に着地する。読書会では配布資料の統計が効いた。今この年齢まで生きた人の半数はさらに十数年、一定割合は100歳へ——数字が示す“未来の現実感”が、参加者の背中を押す一方、じわじわ不安も呼び起こす。
議論は「どう生きるか」から「終活」「死に方」へと自然に流れ、結局、次々回の読書会は四期研究生Aさんの修了論文「終活」を1時間聞いた後、各自の“終活本”を持ち寄る会に決定。
読書会が“本を読む会”から“人生を編集する会”に進化しつつある気配である。とはいえ、いつものように一同は飲みに行ったのだった。
本を一冊紹介すると、話題は本棚から飛び出して、家庭、社会、歴史、身体、そして未来へと広がる。第14回も例外ではなく、Z世代の親子関係から酵素、沖縄の自然、細胞の都市、言葉のパンチライン、監視社会、そして人生100年の設計図まで、まるで“知の乗り換え案内”のような回となりました。次回・次々回も、読んで、話して、笑って、少し考えて、最後はだいたい仲良く散会(時々そのまま飲み会)——八雲PC読書会は続きます。

(文責 正田、小原)


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