2026年3月31日、小雨模様のなか、東京都東村山市にある国立ハンセン病資料館と国立療養所多磨全生園を訪れました。
まずは、国立ハンセン病資料館の見学からスタート。映像ホールでハンセン病と療養所入所者の生活の実態について、約1時間にわたり語り部の映像を視聴しました。映像終了後は、学芸員から展示資料のなかで是非観てほしいポイントなどについて丁寧なレクチャーを受け、早速思い思いに展示資料を見学。ハンセン病とはどのような病気なのか、ハンセン病問題とは何か、そしてハンセン病と日本社会の史実はどのようなものだったのか等、自由にマイペースで展示室や証言コーナーの映像を観ながら学びました。
ハンセン病については、知っていると思い込んでいた皆さんも、知らなかった事実があまりにも多く、その実態があまりにも過酷、苦痛で、大変悲しい内容であったことに衝撃を受けていました。
一方で、畑を耕して野菜作りをしたり家畜を飼って自活するだけでなく、お祭りや相撲大会などを開催して親交を深めるなど、制限された生活環境のなかでも楽しみや喜びも決して諦めず、人として逞しく生き抜いたことも語りかけてくるように伝わってきました。

(国立ハンセン病資料館前にて)

(資料館内の様子)
資料館見学後は、学芸員の案内で国立療養所多磨全生園内を見学しました。全生園は1909(明治42)年、ハンセン病治療の全生病院として開設され、現在は東京ドーム7個分の広大な敷地のなかに94名の方々が暮らしており、平均年齢は89歳、なかには100歳を超えている方もおられるとのことでした。
園内は「人権の森」として大切に保護され、一部居住地区を除き、近隣住民などに広く開放されているだけでなく、ハンセン病の史跡として「永代神社」「旧図書館」「旧山吹舎」が保存・復元されています。
まずは「納骨堂」で手を合わせて安らかであらんことをお祈りしたあと、復元された「旧山吹舎」に向かいました。12畳半というこんな狭い空間に8名が共同生活を強いられていたのかと、当時の入所者の生活の様子に思いを馳せました。

(納骨堂<写真左は全生園公式HPより>)
*いまも引き取り手がいない遺骨や、全生園が故郷になった人たちなど、4200柱以上の遺骨が納められているとの説明を受けた。

(旧山吹舎 *4軒長屋、1部屋12畳半、8人が共同生活、トイレ・流し共同)
「旧図書館」は、いまも理美容室として利用されており、上野の帝室博物館の建て替え時に、解体された用材を払い下げてもらい、入所者大工の手で復元された建物です。
園内には、神社、お寺のほか、かつては学校や火葬場、お墓もあり、閉ざされた空間の中で生活することを強いられていたことが実感として分かりました。

(旧図書館(現、理美容室))
最後に見学した「さくら公園」は、「わ~!」と思わず声があがるほど、見事な桜並木。かつての入所者が不自由な身体にもかかわらず、願いを込めて一本一本丁寧に植樹した苗木が、大きく育ち見事な花をつけ、しかも満開。子どもを持つことを許されなかったため、苗木を自分の子どもに見立てて大きく育ってほしいという思いと、いつか園の外に出たい、園内にも来てほしいという願いを込めたとの説明を受けました。いま、花見で多くの近隣住民が足を運ぶようになり、敷地内に保育園ができて子どもたちの元気な声が響くようになるなど、その思いや願いは長い長い年月を経てやっと実現しました。しかし、失った時間を取り戻すことはできません。静かに満開の大木を見上げるとき、無念や悲しみとともに、何とも言えない心の和みを覚えたのは不思議でした。

(入所者の思いや願いが込められた見事な桜並木は長い時間を刻んでいる)
全生園の見学が終了し、いったん解散したあとは、希望者で懇親会を行い、今日一日を振り返りました。
今回のFWは非常に深く重いテーマであったため、果たして参加希望者はいるのか、真意を理解いただけるのか など、主催者としては悩みながら企画をしてきました。しかし、その懸念は杞憂に終わりました。感じるところ、考えるところはそれぞれですが、皆さん、熱心に思いを寄せ、しっかりとしたものを確実に持ち帰っていただけたと思います。
皆さんに深く刻まれた記憶と思いが、感想文からも伝わってきます。長文となりますが、抜粋ではなく全文をご紹介します。
🌸熊本にいた中学または高校時代にハンセン氏病(旧癩病)の悲惨な隔離状況のビデオを視聴し、また、本妙寺でのキリスト教関係者の救済活動があり、熊本に日本最大の療養施設、実態は隔離施設があったにも関わらず、また、熊本が訴訟の中心になったにも関わらず、この病気が極めて感染力が弱いこと、特効薬が戦後直ぐにでき治癒可能であったことを知らず、更にそれらに反してかくも長きに亘る隔離、差別・偏見があったことを認識できておらず、自分も無知の一人であったと感じた。現在の人から見れば、何故、政府・厚生省・医療関係者が(一部異を唱える人がいたとはいえ)あのようなあまりに酷い対応を取ったのか、自分ならあのようなことはしないと思うであろう。しかし、人間は時に愚かで大勢に流されることが容易に起こりうることを歴史が証明している。昨今の不安な世界情勢、或いはSNSによる誹謗・中傷、風評被害多発に鑑み、自分で調べ考えることの重要さを忘れてはならないと考える。
🌸昨日、四度目となる全生園を訪れました。これまでにも足を運んだことはありましたが、今回は最初に、入所者の方が自ら歴史や処遇、国との長い闘い、その後の暮らしについて語る映像を拝見し、続いて学芸員の方から丁寧な説明を受けたことで、この場所がこれまでとはまったく違う重みをもって胸に迫ってきました。映像の中の言葉は静かでありながら深く、長い年月の中に積み重なった苦しみや無念、そしてなお失われることのなかった人としての誇りが、画面越しにもひしひしと伝わってきました。その後、資料館の展示を見て、納骨堂、かつての居室、望郷の丘、学校跡、旧図書館の建物を学芸員の方の案内で歩くうちに、建物や風景そのものが、まるで長い沈黙を破るように語りかけてくるように感じられました。とりわけ心に残ったのは、法律や制度が改められた後も、差別や偏見が人々の心の中に長く残り続けたという現実です。社会の仕組みは変えられても、人の意識はすぐには変わらない。その残酷さと重さに、怒りや憤り、そして深い哀しみを覚えました。同時に、これまで自分がどこまで本当にこの歴史を知ろうとしてきたのかを静かに問い返す時間にもなりました。満開の桜が園内をやわらかく包み込む中で、そこに積み重ねられた苦難の歴史を思うと、春の明るさがかえって胸に沁みました。美しい景色の向こうに、帰ることのできなかった人々の望郷の思いが重なり、長く心に残る一日となりました。この場所を歩いて感じたのは、歴史は過去の出来事として遠くにあるのではなく、今を生きる私たちの足元にも静かにつながっているということです。偏見や無理解は、形を変えながらいつの時代にも生まれうるものです。だからこそ、知ろうとすること、耳を傾けること、そして他者の尊厳を守る社会であるかを自らに問い続けること――それが大事だと、桜の下であらためて感じました。
🌸ハンセン病を患った方々の苦難の道のりに無知であることの罪、見ようとしない、知ろうとしないことの責任を思いました。遺骨になっても家族のもとに帰れない方が多くいることに、らい予防法が廃止されて30年たった今もその傷の深さに胸塞がる思いです。「あきらめと祈りと希いの桜かな」「全生園桜のもとに倶繪一處」
🌸多磨全生園FWの翌朝(2026/04/01)、新聞を広げた私は社会面トップ記事のタイトルに『帰郷 死後もかなわず』と書かれているのを目にしました。そこには、らい予防法が廃止されて30年経った今も、全国14の療養所には1万7000柱を越える遺骨が安置されていて、引き取りが進まないという現状について記されていました。FWでの学芸員の方のお話や故佐川進氏のビデオ講演を観て、長きにわたり無知や誤った知識から生まれた偏見によって、人としての尊厳を奪われ、強制収容・強制隔離・断種・堕胎等により一生を台無しにされてしまった方達に対して、強く胸が痛みました。本名を名乗る事も許されず、療養所とは名ばかりの収容所と何ら変わらない場所を「終の棲家」とせざるを得なかった皆さんが、「生きた証」として植えられたという桜の木。それらが満開の花をつけているのを見て、一層切ない思いに駆られ、二度とこの様な事が起きない社会にするために、私達皆が後世に伝えていかなければならないという思いを強くしました。想像を絶する状況下においても、皆で協力しあって生きてきた方達に心から敬意を表します。
🌸地域の人々を招くために桜が植えられたという全生園へ行きたい思いがずっとありました。この度その願いが叶い、また資料館や園内も丁寧に案内して頂き、ハンセン病の歴史や入所者の皆さんの苦悩も知ることができました。社会から完全に隔離され、その病に対する差別や偏見は凄まじいものでしたが、私たちも無知であるが故に加担していることに気付かされました。(コロナ禍も同様です) そんな中で患者でもあった北條民雄の書いた童話「すみれ」を読んで、極限の絶望から希望を見出した彼の姿は、私が修論で書いた「シベリア抑留」の抑留者と通ずるものを感じたのです。全生園内に美しく咲く花々や入所者の皆さんの製作品を通してその思いをより感じました。
🌸何も悪いことなどしていないハンセン病の人たちが、権利を求めて闘わなければならなかった理不尽さに、これがこの国についこの間まであった事実なのかと思わずにはいられませんでした。そしてこの問題について学び、参加者間での意見交換ができたことはとても有意義でした。入所者の手によって植えられた満開の桜は強く美しく、これを悲しい物語で終わらせてはいけないと思わせてくれました。
🌸ハンセン病の歴史と、長く続いた差別の現実を知り、胸が痛みました。特に印象に残ったのは、治療法が確立しても、隔離政策を継続したことは、政策の不作為であったと考えます。今回の見学を通して、過去を忘れず、人を思いやる心を大切にしていきたいと改めて思いました。
🌸私は「ハンセン病」について、全くと言っていいほど知識がありませんでした。今回のFWに申込した時、逆にあまり知識を入れないまま参加した方が先入観を持たずに聞くことができるのではないかと思い、あえて情報を入れることをせずFWに参加しました。そして最初の映像鑑賞で初めて色々なことを知り、心が押しつぶされそうになり涙が出てきました。現代に生きる私たちがこういった過去の話を聞くと、あまりに現実味がなく遠い話のように感じてしまうことが多いですが、目の前の映像でお話しされている語り部の方の言葉は、そのまま私の心に突き刺さりました。そしてその後の資料館の展示の数々や、実際の建物などの見学。。。その時代の出来事を疑似体験しているような1日でした。最後の学芸員さんの「ここに全て揃っているから、ここで一生を過ごしなさい、とある日突然言われたら、どう思いますか?」(すみません言葉はちょっと違ったかもしれませんが)という言葉は、あの時疑似体験している私にとって、地の底に突き落とされるような言葉でした。それでも人は、置かれた環境の中で自分の生きる道を探し、見つけて生きていく。。。最後に見せていただいた見事な桜並木は、そんな人間の強さを見るような思いでした。同時に、絶望し自殺していってしまった人々に、後の世に人々を感動させるこんな見事な桜を咲かせることもできたということを知らせたかったなあ…その時少しでも未来を見て踏ん張ってくれたら。。。と思わずにはいられませんでした。
🌸今回のFWは衝撃的で色々と考えさせられる内容でした。何故政府はこのような政策を病気が直せるようになった後もずっと取り続けたのか、何故人間はこのような残酷なことができたのか等の疑問が次々と浮かんでくるのですが、そのような第三者的な疑問ではなく今回一番衝撃を受けたのは、何故私はこのことを知らなかったのかということでした。知る機会はたくさんありました。「砂の器」や「もののけ姫」の映画は見ています。しかし、その時当たり前のようにハンセン病に対する認識をそのまま受け入れていて何ら深掘りをしようとしていませんでした。言い訳かもしれませんが、日本書紀の時代からこの病気は認識され、世の中の意識に定着していたからということかもしれません。語り部の言葉「無知が偏見・差別をうんでいる」そのもので、私自身ハンセン病に対する偏見・差別を助長しているのだということに気付かされました。今回自分の無知に気づいたことで自分が直接この問題に対し何らかの行動に出ることは恐らくないと思います。しかし、いろいろな偏見や差別ということをもっと真摯に考え、人に対する考え方や行動を変えるいい機会になったと感じています。
🌸今回の企画は、日本をもっと知りたい会ならではのものでした。資料館を見学して辛い面もありましたが、だからこそ参加できてよかったです。平和を感じられる現代にも、不条理に苦しむ人達がいて、人権を侵害するのは、戦争だけでなく、人の無知や偏見からくるものもあるということを心に留めておきたいと思いました。
🌸ハンセン病とは何か。療養所とは何か。どこかで聞いたことがあるようでいて、身近なものとして知ることのなかった場所。いつか行きたいと思いながら、一人で行く勇気を出せずにいたのが、今回のFWでかないました。ビデオでしたが、入所者自身が語る療養施設の歴史や生活は胸に迫るものがあり、容易に言葉に表せません。回復する病気とわかってからも続く隔離生活。入所者の「社会」へ出たいという望みに私たちはなんと鈍感であり続けたことか。偏見に満ちた人の心はなぜこんなにもかたくななのかと、自省を迫られるものでした。コロナ禍を経験して私たちはなにかを学びとれたでしょうか。小雨のなかでしたが、人権の回復に望みをかけ植えられた大木の桜を存分に楽しむことができました。
🌸ハンセン病のことをこれまで知らずに生きてきました。今回初めてハンセン病の向こう側を考える機会をいだたき、大変有り難かったです。私たちは、知らないことによって、ハンセン病に偏見を持ち恐れていたことを知りました。ハンセン病の実情を知ったうえで、私たちにできることを考え、全生園の人権の森に訪れたり、ハンセン病家族の被害を忘れてはいけなと思いました。
記:森本 曉(1期生)


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