大興味深い投稿でしたので、HP委員の特権を使わせて頂いて、個人的に深田さんとのQ&Aを行い、目から鱗がおちました。これをHP委員だけで独占するのも申し訳ないと思い、深田さんに補足説明頂いた内容を追記しておきます。
山田昌久ゼミ研究生(1期生4名(内卒業生1名)、2期生2名)は、山田昌久先生にご案内頂き、去る7月14日から2泊3日で『世界遺産縄文遺跡群』を巡る東北3県の旅に行ってまいりました。上野名誉教授(前学長)も初日の夜から合流され、総勢8名での楽しく素晴らしい旅となりました。
『北海道・北東北の縄文遺跡群』が世界遺産に登録され1周年。その中心遺跡である『三内丸山遺跡』では記念イベントが開催されようとしていました。北海道の遺跡も含め17箇所の世界遺産登録遺跡の内、5箇所(大湯環状列石、是川石器時代遺跡、御所野遺跡、三内丸山遺跡、小牧野遺跡)を巡ることができました。どの遺跡も山田先生がいらっしゃるということで展示館の館長がお出ましになり、学芸員の方のみならず館長自らもご案内して頂けるというVIP待遇。改めて山田先生の考古学者としての名声の高さとネットワークの広さを思い知りました。館長や学芸員の方々の説明に加えて山田先生にも解説頂き、世界最高レベルの縄文遺跡の解説を拝聴するという恩恵に預かることができました。
縄文人が定住生活を始めたからこそ生まれ、育まれた戦争と無縁の縄文文化。土器や土偶、環状列石、竪穴式住居など。現代日本人がどこか郷愁を覚える懐かしい感覚を感じることができました。あちこちに見てとれる縄文人の精神性と文化レベルの高さにロマンを感じ、一同大変感動致しました。
そして、この感動はプレミアム・カレッジに入学できたからこそ得られたもの。この幸運を噛みしめる思い出に残る旅となりました。
(以下、HP委員の役得で深田さんからお聞きしたお話し)
どの建物も基本的に、発掘された柱の跡と、柱に使われた大木の一部から、想像で復元した物なので、建物の高さは正確ではありません。大きな建物は住居ではなく集会場のような使われ方をしたとしか思えませんね。5000年以上も前に集団生活をしていた証拠ですが、まだ使える土器を意図的に土に埋めて神への祈りに使う儀式的な風習もみてとれます。
かなり遠くの川から運んだ何十キロかのとても大きな石を並べて環状列石というお墓を作っていたようで、ここでも集落毎に仲良く並んでいます。厳しい自然の中で、皆で協力して生き延びようとした姿が浮かんできます。何せ東北は寒いですからね。縄文人の健気さと信心深さを感じました。狩猟採集生活から定住が始まると、食糧を貯蔵する場所を確保するなど、集団で助け合って生きる術を身につけていく中で文化が生まれていったのだと思います。
今まで展示館などで土器や土偶は見てきましたが、実際に倉庫に置いてある膨大な量の発掘された遺物をみるとかなり違う印象を持ちました。漆で土器を塗ってあるものはびっくりするほどの美しさでした。戦争のない助け合いの精神が日本人のDNAに残っているのだと思いました。
(以下、HP委員の独り言)
現地・現物を見て初めてわかること、しかも、その道の専門家のお話を聞いて初めて実感できることなど、沢山収穫があった良いツアーのようで、良かったですね!
コメント
コメント一覧 (2件)
現場でしか感じ取れない肌感覚、伝わってきます。日本人気質形成のルーツを物語っているのかもしれませんね。興味深いです。
森本さん、
コメントありがとうございます。
渡来人から稲作が伝わり、土地の奪い合いから紛争が起き始める弥生の前の穏やかな時代ですね。聖徳太子は人々に縄文人の”和”の心を忘れるなと諭したのかもしれませんね。そして、”日本をもっと知ろう”と言ったかも知れませんね。(笑)