開催日: 2022年9月15日(木)
開催場所: オンライン
出席者[入会順、敬称略]: 荻野、関、増山、森本、宮嶋、深田、柳下、鈴木
<発表者> 荻野
第12代・景行天皇の九州遠征の第2回目です。九州での初戦となる「神夏磯媛と4人の土蜘蛛との戦い」を取り上げようと思っていましたが、神夏磯媛のミステリアスな登場に目を奪われてしまい、今回は彼女に全力投球です。神夏磯媛は、景行軍の進軍を知ると、船の舳先の賢木(さかき)に、①八握剣(やつかのつるぎ)、➁八咫鏡(やたのかがみ)、③ 八尺瓊(やさかのに・勾玉)をかけて出迎え、帰順の意思を示し、4人の土蜘蛛の討伐を要請します。①は先代旧事本紀で伝えられる十種神宝(とくさのかんだから)のひとつ、➁③は三種の神器です。この登場で、私の頭の中には一瞬にして次のような「何故?」「何?」「何者?」が渦巻きました。
(1)彼女は「何故」こんな宝物を持っているのか?
(2)そもそも十種神宝・三種の神器とは「何」なのか?
(3)神夏磯媛とは一体「何者」なのか?(九州の女王で連想するのは卑弥呼。この二人の関係は?)
そこで、「この地域に伝わる神夏磯媛の伝承」、「この地域のこの時代の遺跡と考古学の研究成果」、「前漢・後漢・魏呉蜀の時代の歴史書が伝える当時の倭の姿」などを紐解き、神夏磯媛の手がかりを追いました。その結果、私なりの結論を導くことができ、会の皆さまに(ドキドキしながら)聞いてもらいました。紙面の都合で、ここで紹介できないのが残念ですが、(3)のサワリだけご紹介させていただきます。
府中市の大國魂神社の創建は、景行天皇の世の西暦111年と言われていますので、府中市民の私としては「景行天皇は卑弥呼より前の時代の人」と信じていましたが、前回の深田さんの発表の中で、日本書紀「巻第五・崇神天皇」の記述と、箸墓古墳の放射性炭素年代測定法の結果から、3世紀後半の人と考えざるを得ないことを知りました。一方で、神夏磯媛の活動エリア内に、箸墓古墳と類似性が高く、九州で最古・最大の前方後円墳があることを知り、このことから3世紀後半に北九州地域がヤマト王権の支配下に入ったと考えられていることを知りました。この二つの事実を見比べると、景行天皇の九州遠征は、九州がヤマト王権の支配下に入るに至った戦いを描いていると考えても良さそうです。
一方で、魏志倭人伝には卑弥呼の死後、「さらに男王を立てる。国中服さず。さらに相誅殺し、当時、千余人を殺す。また、卑弥呼の宗女、壱与、年十三を立てて王と為す。国中遂に定まる。」という記述があります。4人の土蜘蛛の活動領域は、伝承によれば北九州全域に渡ることも分かりました。「邪馬台国九州説」に立てば、「壱与=神夏磯媛」、「国中遂に定まる=壱与(神夏磯媛)の要請による景行軍の土蜘蛛討伐」という説もまんざらでもないと、「ちむどんどん」してきました。
日本書紀には首をかしげたくなる記述が少なくなく、文面だけを追っていくと行き詰ることが多いのですが、「何故?」「何?」を、伝承や考古学の成果などと照らし合わせながら突き詰めていくと、面白い発見(妄想?)につながることが分かってきました。迷路に迷い込んだり行き詰ったときに一番心強いのは、会の皆さんの「この本にこんな解説がありますよ!」「こんな遺跡もありますよ!」などのアドバイスです。日本書紀も、歴史学・考古学も俄か勉強の身としては、皆さんの「え!知らなかった!」のひと言で「どや顔」になったり、「うーん。面白いけど…でもね」の突っ込みに凹んだり。それが楽しいんです。
<感想> 柳下
第12代景行天皇の九州遠征「諸族・土蜘蛛」を取り上げた発表は、上記の通り、壮大で思いの溢れる会となりました。
荻野さんが感じる「なぜ」「どうして」の思考渦の中に巻き込まれ、一緒に冒険したという心持です。
中でも神夏磯媛とは一体「何者」なのか?(九州の女王で連想するのは卑弥呼。この二人の関係は?という視点で、熱く語られ、邪馬台国九州説の話、「十種神宝」「三種の神器」の謎なども併せてお話しいただきました。荻野さんの頭の中はとてもスピードが速くどのようになっているのか?と感じながらお聞きしました。
発表後の感想では、それぞれの方が自分の調べている天皇との共通点や、時代背景、海外との交流、銅、鉄などの工業、文献を共有するなど活発なお話が出ました。サカキ/榊を舳先に立てる、祈祷の場面で登場することに触れ、現在でも神棚に榊の枝を捧げるなど伝統的なスタイルとして継承されていると感じました。この度の興味の掘り下げ方が余りにも深く、追いついていけていないと痛感しますが、同じ「日本書紀」を紐解くあたり、個々に感じる様々な切り口があることも改めて感じています。縁日会は、「日本書紀のにの字もを知らない初心者の会🔰」なので、今後も楽しく活動して参ります。
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