【活動報告】2022.11.27古地図散歩の会

~新国立競技場前にて~

今回は、四ツ谷から青山まで都心を南に下って歩くコース。四ツ谷という地名の由来は、その昔、四つの谷筋があったので四ツ谷と呼ばれたとか。或いは谷間に四件しか家がなかったことから四家⇒四ツ谷とも。水害の多い厳しい地形のために敬遠され、江戸時代には魚を売り歩いた「俸手振り」や大道芸人など、江戸文化を底辺で支えていた逞しい人々が闊歩する貧しい庶民の街だったとか。

谷地を歩いていると、これから建築される家屋の更地の現場に遭遇。噴き出して溜まった地下水を抜く地盤改良工事をしている最中でした。今は瀟洒な高級マンションが立ち並ぶ土地柄ですが、地盤の厳しさは隠せませんでした。

江戸城の外堀が作られた当時、外堀の内側にあった寺院は周辺に移転させられたといいます。その時、浅草・三田・深川などと共に四ツ谷にもたくさんのお寺が移転して寺町となりました。手にした江戸の古地図に載っているお寺と同じ名称のお寺を現代でも同じ場所にたくさん見つけることができました。下の写真の前方に写るお寺も江戸初期に外堀の内側から移転してきたようです。

起伏の激しい場所に建つ「須賀神社」は、美しい画像で有名な新海誠監督のアニメ『君の名は』の聖地となっている場所です。この日も映画の聖地巡りをする若者達で賑わっていました。下の左側の写真は須賀神社の境内から撮ったもの。また、右側は映画『君の名は』の宣伝に使われた映像で、同じく須賀神社境内からの眺めです。

四ツ谷を抜けて長い坂を上ると信濃町の駅。そこから神宮外苑に入ると建築家「隈研吾」デザインの「新国立競技場」、そしてオリンピックミュージアムに到着。信濃町の坂下で通り過ぎた「一行院」も隈研吾のデザインとのこと。木の温もりの感じられる洒落た作りのお寺でした。

江戸時代、明治神宮外苑には武家屋敷が建っていましたが、明治期に練兵場として使われた後、明治神宮の外苑として整備されました。現在、神宮外苑の再開発計画があり、銀杏並木の保全も検討されています。この日の銀杏並木の景観は素晴らしく、大変な人だかりで通り過ぎるのにかなり時間を要しました。

最後に神宮外苑から「青山霊園」を訪れ、著名人のお墓参りをさせて頂きました。「大久保利通」、「浜口雄幸」、「乃木希典」、「後藤新平」、「北里柴三郎」、「斎藤茂吉」、「岸清一」などなど。歴史の教科書を辿るようなお墓参りとなりました。プレミアム・カレッジの授業で学んだ「後藤新平」には注目が集まりました。

青山霊園のほとんどは江戸時代の青山家の武家屋敷の跡地に作られており、乃木坂、六本木方向に向かってかなりの傾斜地となっていました。大名屋敷が建っていた頃は、この傾斜を利用し、さぞかし立派な日本庭園が造られていたのではと想像を掻き立てられました。

今回の古地図散歩は、四ツ谷の谷底から青山霊園の傾斜地へとアップダウンの激しいコースでした。東京の都心には武蔵野台地を削った河川の跡が激しい坂道や谷底となって各所に残っているのです。終着点は六本木ヒルズのクリスマスツリー。コロナ以降久しぶりに美しいデコレーションが施されたということで大勢の人達で賑わっていました。

次回の古地図散歩は来春の開催を予定しています。皆様のご参加をお待ちしております。

『古地図散歩の会』世話人 深田武寛 

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