【活動報告2022.11.17】(第20回)縁joy!日本書紀の会 箸墓伝承深読みにチャレンジ!

開催日: 2022年11月17日(木)
開催場所:オンライン
出席者[入会順、敬称略]: 荻野、関、増山、森本、宮嶋、深田、柳下、鈴木

<発表者> 宮嶋

第十代崇神天皇の第2回目は「箸墓伝承」について発表しました。

「箸墓」と聞くと、その墓の主は誰なのかという話題がとりあげられる事が多いですが、今回は崇神紀の事績(四道将軍)に「箸墓」が記されているのは何故なのか?について考察しました。

前回発表した「二人のハツクニシラススメラミコト」の一人である崇神天皇は、(もう一人は神武天皇)ヤマト王国を建国した直後、疫病と度重なる民の流亡や反乱という試練に見舞われます。しかし、天皇は神祇制の基本となる考え方を提示し、戸籍調査や税制の導入などによって国家統治の具体的基礎を築きます。そして諸国平定を成し遂げるために「王家」と「教化」を掲げ、四道に向けて将軍を派遣するのですが、「箸墓伝承」はその派遣直後のところに記され、話しに脈絡がなく唐突感が否めません。そこで、何故この場所に記述されたのかについて“深読み”にチャレンジしました。

先行研究等を調べる中で、そこに登場する倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメノミコト)が、崇神王朝にとって呪術的予知能力に優れた重要な巫女であることを窺い知ることができました。大物主の妻となった倭迹迹日百襲姫命の死は崇神天皇にとって大きな損失でしたが、「三輪山の神の箸墓造営」に協力することにより、国家統一という偉業が可能になったのです。しかし、列島全体を「王家(君主政治が行き渡ること)」するためには、崇神天皇自身を支える神は天津神である「天照大御神」であるがために、国津神の妻となった倭迹迹日百襲姫命(巫女)の役割が終焉したことを、日本書紀の編纂者が神話的に記述したものではないかと考えられます。「箸墓」の記述は日本書紀のみで、古事記には記されていません。これらの事から、崇神紀における「箸墓伝承」は神婚説話であり箸墓の名称起源譚であるという結論に至りました。

<感想>鈴木

箸墓は日本書紀では神話的な世界に包まれていますが、実際に存在する古墳です。そしてそれは巨大前方後円墳として最古のもとされ、考古学的には3世紀半ばの建造とされています。日本書紀では、天皇等の葬られた古墳のおおまか位置は記載あるものの、実際の古墳との紐づけは容易ではなく、被葬者が明確にわかるものは非常に少ないといえます。今に至るまでその名称が現役で生きていて、被葬者の名前まで明確に記載されている箸墓古墳は稀有の存在だと思います。

箸墓の被葬者とされている倭迹迹日百襲姫命は崇神天皇の3代前、曾祖父にあたる孝元天皇の皇女だと伝えられており、崇神天皇のおばあさんの世代となります。その活躍ぶりはおばあさんらしからず、日本書紀の編纂者が、なぜここで倭迹迹日百襲姫命と箸墓の物語を持ち出しているのか、その意図は謎に包まれています。

箸墓は、建造年代から卑弥呼の墓ではないかという考古学者も多数います。もし本当に卑弥呼の墓だとすると、日本書紀の編纂者は魏志倭人伝の記事を承知の上で、あえて卑弥呼の存在を消したことになります。アマテラスを始祖とする皇室神話には都合が悪かったのかもしれません。一方で、最古の古墳、箸墓については触れざるを得ず、最初の天皇、ハツクニシラススメラミコトをサポートした倭迹迹日百襲姫命の物語を作り出したのでしょうか。魏志倭人伝に記載の卑弥呼の巫女的超能力を倭迹迹日百襲姫命に映し撮り、天皇制国家形成期の物語としたのかも、といった妄想をしたりして、興味の尽きない『箸墓の深読み』でした。

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