~市ヶ谷の朝霧荘(黒川紀章設計の損保ジャパン迎賓館)前にて~
今回は、「東京崖百景その1」ということで、曙橋・市ヶ谷から神楽坂までの崖巡りの散策でした。このあたりは、広い武蔵野台地の東の端で、牛込台地と呼ばれる一番の”へり”にあたります。 今も残る坂道や崖を体感しながら、細い道筋を辿って歩きました。歩いた道筋(赤線部分)と地形は下の地図の通り。地面の色の暗いところは崖や坂道です。
スタートは、曙橋駅前から。かつて、ここにはフジテレビの本社がありました。25年前にお台場に移転した跡地に今では立派なタワーマンションがそびえ立っていました。本社が移転した理由は、崖の上に建てられていたことで手狭になった社屋の大規模な拡張工事ができなかったためだったといいます。
「曙橋」は、四ツ谷と牛込の間の谷筋を通る靖国通りに架けられた陸橋です。戦後の復興と成長への願いを込めて「曙」と名付けられ、後にできた地下鉄の駅名もこれに倣ったとのこと。何やら皆が元気だった昭和の時代への懐かしさを感じさせる命名です。
曙橋から防衛省の北側を歩くとそこは谷筋。防衛省の建物は一段高いところに建っており、自分達が谷間を歩いていることが実感できました。江戸の古地図には、防衛省の場所が尾張徳川家の上屋敷だと描かれています。隣接する「大本印刷」の社屋の敷地は広大で周辺も美しく整備され、都心と思えない緑豊かな空間が広がっていました。さながら大日本印刷村となっていました。
神楽坂に近づくと「浄瑠璃坂」、「うなぎ坂」、「逢坂」、「新坂」と江戸の古地図に載っている呼称そのままの坂道にたくさん遭遇します。「赤穂浪士の仇討ち」事件より30年前に起きたという「浄瑠璃坂の仇討ち」の現場はこの周辺の出来事だったとか。
神楽坂の細い路地を行くと、趣のある黒塀の料亭、小料理屋、洒落たレストランなど、かつて花街として栄えた街の雰囲気が漂っています。芸者さんを呼べる料亭は今はもう3軒のみと減ってしまい、街中で芸者さんに出会う機会は珍しくなりました。しかし、彼女たちに愛されたという銭湯「熱海湯」は今だに現役でした。
最後の到着地は、隈研吾の設計でモダンに立て替えられた「赤城神社」でした。神社の裏に回ってみるとこの日最大の崖に遭遇。赤城神社はなんと標高差18メートルの崖の上に作られていて、神社の裏から隣のマンションに目をやると7階と同じ高さ。少々地震の影響を心配してしまいました。ちょうど崖の補強工事の最中で壁面は見られませんでしたが、激しい地形を実感させられる崖でした。
次回の古地図散歩は5月10日(水)の開催を予定しており、まだ少しだけ空席があります。皆様のご参加をお待ちしております。
『古地図散歩の会』世話人 深田武寛
コメント