【活動報告】2023.5.10古地図散歩の会

~旧文部省庁舎の中庭に残る外堀石垣前にて~

 今回のコース「江戸城外堀一周 その2」では、東京駅から溜池山王までを巡りました。この日は4期生の皆様方も多数参加頂き、天候にも恵まれ楽しい古地図散歩となりました。

 散策した地域の江戸城外堀は、明治時代以降すべて埋め立てられており、高速道路や高層オフィスビルに変貌。今回は、街中に残る外堀の痕跡を探し行く散策となりました。

 スタートは、江戸城外堀を利用して造られた八重洲地下街から。八重洲の地名の由来がわかるモニュメントが地下商店街の一角にひっそりと建っています。江戸初期、三浦按針(ウイリアム・アダムス)と共に日本に漂着したオランダ人のヤン・ヨーステンが徳川家康に気に入られてこの近くに屋敷を拝領しました。その後、「ヤン・ヨーステン」⇒「八代洲」⇒「八重洲」とその名が訛ってこの地の呼び名となりました。実際のお屋敷は、丸の内側にあったらしいですが。

 八重洲地下街から外堀を離れ、旧都庁舎跡に建つ東京国際フォーラム、さらに大岡越前守で有名な南町奉行所の跡地にも足を延ばしました。奉行所の跡地から発掘された「木樋」(木で作られた水道管)が有楽町の地下広場に展示されています。歴史的発掘品の上に直接座ることができるのは不思議なのですが、そこでしばしの休憩。

 外堀は有楽町から内幸町に続きます。埋め立てられて高速道路になった脇に関東大震災の復興事業の一環として建設された『泰明小学校』があります。中央区にあるこの小学校は、学区外からも越境入学が許可されており、島崎藤村や北村透谷といった文豪が上京。同級生として肩を並べて学ばれたとか。

 外堀のすぐ横を通る山手線の高架橋は、明治時代、赤レンガを積み上げて造られました。有楽町~新橋間の山手線の高架下は、当時のままの赤レンガのアーチを残しつつ4年前にJR東日本によって再開発。高架下は『通な大人の通り道』と名付けられ、洒落た空間に一変。新しく誕生した憩いの空間にビックリです。

 内幸町から虎ノ門に向い外堀跡を歩く中、登録有形文化財となっている旧文部省庁舎が現れます。さすがは文科省。当時の外堀の石垣がそのまま保存され、間近で見学できるように工夫されていました。

 この浮世絵に描かれた江戸城外堀の溜池櫓(やぐら)台は、絵の中の赤丸部分にあたります。近くのビルの片隅に溜池櫓台の先端部分が残っているのを発見。 (下の写真の赤丸部分。すぐ後ろに聳え立つのが霞が関ビル) 3代将軍家光が泳いだといわれる溜池が埋め立てられた確かな痕跡に遭遇し隔世の感に浸ります。 浮世絵の左隅に描かれた金毘羅権現も周辺の高層ビルの谷間に健在。幸運にも境内の能舞台での御神楽の演舞に遭遇。華やいだ雰囲気を満喫しつつ終了地点の山王日枝神社に向いました。

次回の古地図散歩は秋口の開催を予定しております。
皆様のご参加をお待ちしております。

『古地図散歩の会』世話人 深田武寛

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