【活動報告2024.5.16】(第31回)縁joy!日本書紀の会

開催日  : 2024年5月16日(木曜日)
開催場所 : オンライン
出席者  : 荻野、関、増山、森本、宮嶋、深田、柳下、鈴木[入会順、敬称略]
発表者  : 増山 憲司

 前回(第24回)は、初の女帝となった第33代推古天皇と「摂政」として推古天皇を支えた聖徳太子、さらに有力豪族との関係を含めて、このような体制に至った背景や経緯について探ってみました。

 今回は、聖徳太子の著名な功績として記載されている「冠位十二階」と「十七条の憲法」に焦点を当て、これらの新たな取り組みが生まれる時代背景とその狙いについて調べることにしました。

 冠位十二階とは、朝廷における席次を表す「位階制度」であり、12に区分されたシンプルな序列で、上から徳(とく)・仁(じん)・礼(れい)・信(しん)・義(ぎ)・智(ち)とされ、それぞれが大と小に分かれて構成されています。

冠位十二階

 その狙いは、朝廷に出仕する人々を働きぶりや能力・成果で評価し、その地位を冠の色で識別できるようにしようとする制度であり、朝廷における序列を可視化する仕組みとして、603年に聖徳太子が定めたとされています。これによって、それまでの「氏姓」制度による門閥(家柄)や世襲制を打破し、身分に関係なく優れた人材がその人の能力を活かして政治に携わることができるようにしようとしたと考えられます。

 そして、翌604年には、十七条の憲法が聖徳太子によって示されました。冠位十二階と十七条の憲法は、合わせて一対の施策であると考えらます。

 十七条の憲法について今回は、有名な第一条の「和を以て貴しと為し、忤う無きを宗と為よ」や第二条の「篤く三宝を敬え」に留まらず、十七条のすべての条文を個別に辿り、その狙いを確認することとしました。その結果、十七条の憲法に記載された内容は、実際には憲法というよりも朝廷に仕える役人を対象にした「公務に携わる際の心得」のようなものであることが理解できました。当時の国家レベルでは、まだ律令制度を受け容れられる状況ではなかったため、まずは道徳的訓戒や人倫の道を明確に示すことで、新制度が根付く環境を整えることを主眼に置いたのではないかと考えられます。

 このように聖徳太子は、「冠位十二階」と「十七条の憲法」を制定することによって、「天皇を中心とする国家体制の構築」を目指す仕組みづくりの第一段階を実現した、と推察されます。

 最後に、筆者の独断ながら、全十七条のうち現在の人々にも意義のある内容であると判断される条文に〇をつけてみたところ、十七条中の十三条に〇が付きました。このことから、聖徳太子の十七条の憲法は、「時を超えて、普遍的な人心の在り様をよく見抜いている」、と感心した次第です。

(記)増山憲司

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