開催日 : 2024年6月20日(木)
開催場所 : オンライン
出席者 : 荻野、関、増山、森本、宮嶋、深田、鈴木[入会順、敬称略]
発表者 : 関 佳美
今回は、一年ぶりの発表ということで、まず前回の第5段、神生みについての振り返りと第五段の異伝一書11の解説をしました。第五段の最大のテーマは、「地上世界の統治者を生む」ということです。第五段本伝のポイント三つを振り返りました。
- 第五段は第四段の本伝の流れをうけて展開しているということ。
- 陰陽の力を内在した二柱の男女神の自発的な行為として、共に「地上世界の統治者を生む」という目的のために協議=相談をして実現を目指す。これは、日本神話ならではの世界観といえます。
- 二柱の性の営みの結果生まれた子供(神)にはそれぞれ特性があり、その本来持っている性質の多様さが、神話に大きな展開を与えていきます。そして、イザナキイザナミは、生んだ子(神)に対して、その子の持つ性質・特性に応じた親の責任としての処遇を与えていきます。
3つのポイントを踏まえて、二柱神が生んだ、日の神(天照大神)、月の神、蛭児、素戔嗚尊に与えたそれぞれの特性に応じた処遇(日の神と月の神は天上界へ送り、蛭児は海に流し、素戔嗚尊は根國へ追放)の意味・理由を少し深く掘り下げて解説しました。第五段の最大のテーマである「地上世界の統治者を生む」ということが、最終的に統治者が不在のままであることが、これから展開していく天つ神による国譲りから天孫降臨の道筋の正統性を語る上で重要なポイントであるということを第五段本伝の振り返りとして説明しました。
第五段は、神代の中でも異伝一書が最も多い段です。それだけ、この第五段には本伝では語られていない超重要テーマが目白押し!ということになります。多角的多面的に展開する神話の世界を11の異伝で伝えているということになります。今回は、異伝一書11が語る重要な神話の世界観を解説しました。
- 一書第1 陽の神イザナキ単独による神生みについて
- 一書第2 既に日と月の神は生まれたところからスタート。そして、本伝に出てこない神様がたくさん登場します。まず、火の神カグツチ。イザナミはカグツチ出産の時に火傷をして、亡くなる前に、土の神ハニヤマ姫と水の神ミツハノメを生みます。
- 一書第3・4 内容的にはイザナミの死にフォーカス。一書2から4に語られていることは、火の神に焼かれて悶絶しながらも、火、土、水、鉱物、葛など生産性のある神々を生んだイザナミは、地母神(多産、豊穣をもたらす母為る神)の神格をもつ神であるということも伝えています。
- 一書第5 亡くなったイザナミへの鎮魂として、熊野有間村に埋葬。その土地の人たちは、この神の魂を祀る時に、花を持って祭り、鼓や笛や旗を用いて歌い舞って祭ったということ。現在、この伝承地として残っているのが、花の磐(はなのいわや)神社です。
- 一書第6 第五段にある全11の一書の中でも最も長い伝承、というより、神代の中でも最も長い伝承になります。内容的には、まず神生み。火の神の殺傷。黄泉の国と生(イザナキ)と死(イザナミ)の断絶。禊ぎと三貴神(アマテラス・ツクヨミ・スサノオ)誕生。そして三貴神の文治。という構成になっています。
- 一書第7・8 このふたつの一書の内容は、カグツチを何段に斬ったか?飛び散った血がどんな神になったか?の2点に集約されています。日本神話史上初の報復のために親神(イザナキ)が子の神(カグツチ)を殺すという激情さを強調して、そこから生まれた強烈な神(経津主神・武甕槌神)の誕生を印象づけることが語られています。
- 一書第9 殯の存在。「見るな」の禁を破った結果、逃げ帰るイザナキと追いかけてくるイカヅチを桃で撃退。そして、イザナキの一方的なイザナミへの絶縁宣言。という3つの要素を含む内容になっています。
- 一書第10 メインテーマとしては、生と死の完全なる断絶。イザナキイザナミ二柱の話合いによる協議離婚。そして禊ぎによる神生み。が話の柱になっています。 そしてここにこれまでにない第三者の立会人が現れます。イザナミの別れの言葉をイザナキに伝えた泉守道者。二柱の別離をすべて締めくくってくれる神様、菊理媛神。話の流れや展開に登場する神様は、すべて重要な意味を持っていることを再認識します。
- 一書第11 テーマは、アマテラスの髙天原統治と農業の開始。イザナキによる三貴神への文治により、髙天原統治を命じられたアマテラスが活動を開始します。そして、主人公がイザナキからアマテラスに移り変わると共に、場面も髙天原へ展開していきます。保食神の死によりもたらされた食物を五穀と指定して、管理体制も構築したアマテラス。これは統治者主導のより髙天原で農業が開始されたということになります。これにより、ゆくゆくは地上である葦原中つ国で、農業が始まり、たわわに実った稲がとれる豊かな国へ道筋が付けられたということにもなります。
本伝では語られないことが一書で古代人の生活や信仰に根ざした様々な情報が語られている。ということは、やはり編纂者にとって一書の存在は注や補足という形以上のものとしての意味があったのではないかと想像します。ただ、あくまでアマテラスからニニギの命、カムヤマトイワレヒコの命神武天皇へ続く天皇家の祖神の行ってきたことと系譜を直線的に書き継いでいくことが、日本書紀の神話構想であり歴史認識であるであろうと考察します。
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