【活動報告】2024.10.2~10.3 日本をもっと知りたい会 「葛飾北斎と高井鴻山を学ぶFW(第2弾・長野/小布施編)」開催

(晴天の岩松院本堂前にて)

 今年1月、葛飾北斎を学ぶFWの第1弾として両国の「すみだ北斎美術館」を見学しましたが、北斎シリーズ第2弾として、10月2日、「葛飾北斎と高井鴻山を学ぶ」をテーマに、長野県/小布施町の北斎所縁の場所を訪ねました。今回は、北斎の人生の足跡を辿りながら名画に触れることにより、より深く学ぶことが目的で、初めて宿泊を伴うFWとなりました。

 初日、早朝の東京駅で北陸新幹線に乗り込み、長野駅で長野電鉄に乗り換えて小布施へ。そして小布施駅到着後、まずは北斎が描いた巨大な天井画がある岩松院へ向かいました。

 北斎と小布施の由縁は、岩松院が火災で焼失し、その再建計画のため、小布施の豪農商、高井鴻山が北斎を招いたことでした。真上を向く首の痛さに耐え、明るい日差しに映える天井画の色彩の豊かさと迫力に圧倒されながら、お寺の方からの説明に耳を傾けました。

 本堂を出る際、大きく「無」と書かれた鴻山の書と、その下の大きな2つの蛙の置物の意味の説明を受けました。「迎える(無蛙)」「無に返る(無二蛙)」「無事帰る(無二蛙)」という3つの思いが込められているとのことで、まるで、2日間のFWの無事と成功を祈ってくれているようでした。

 本堂裏にある福島正則の霊廟や、俳人小林一茶が 「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」 と詠んだ「蛙合戦の池」も合わせて見学しました。

(山門から岩松院本堂を臨む)

 その後、小布施市街地にある「蔵部」でランチを取り、「高井鴻山記念館」へ。

(ランチ会場の「寄り付き料理 蔵部」)

(ランチメニューは「前菜8種盛り 羽釜のイワナときのこの炊き込みご飯」)

 北斎を小布施へ招いた鴻山は、単にパトロンというだけでなく、自らも漢詩人、画家、書道家で、しかも幕末に活躍した多くの思想家や幕臣とも人脈があるなど、歴史的人物といえます。鴻山の作品のほか、陽明学の佐久間象山や勝海舟の書など、数々の展示物を目にすることができました。高井鴻山の名前さえ知らなかった参加者の皆さんも、北斎、とりわけ晩年に大きな影響を与えたことを初めて知り、江戸から遠く離れた小布施の地で感慨深いものを感じている様子でした。

 屋敷内にはかつて鴻山が象山などと国の行く末について激論を交わした座敷がありますが、そこに座り込んで一息ついていた時、木々の緑を通して涼しげな風が吹き込み、まるで鴻山が歓迎してくれているような、何とも言えない心地よい空気感に包まれ、安らぎを感じる時間が流れました。

(開館40周年を迎えた高井鴻山記念館前にて)

(激論が交わされた「翛然楼二階奥の間」で足を投げ出して寛ぎのひととき)

 「北斎館」では、「小布施と北斎」「ジャポニズムと北斎」の映像を鑑賞し、北斎が描いた地元の祭屋台の天井画をはじめ、多くの作品をマイペースで見学しました。いずれの作品もため息が出るほど観察眼が鋭く、かつその繊細さは秀逸で、あらためて北斎の才能と拘りを確認できました。

 退館後は、小布施の銘酒試飲や名産品栗菓子のお土産選びなど、思い思いに時間を過ごし、小布施を後にしました。

(北斎館)

(東町祭屋台の「龍」と「鳳凰」。右上は上町祭屋台)

 夜はホテル近くの居酒屋料理店で乾杯。今日一日を振り返りながら、長野の銘酒や馬刺しなどの地元料理に舌鼓をうちました。

(長野駅駅前の「欅屋びくら」で乾~杯~! 今日一日を振り返る)

 2日目は基本自由行動なので、皆さん思い思いに少し足を延ばして名所・旧跡に出かける方もいるなど様々。

 希望者は、午前中、善光寺に隣接する「蔵元 西之門よしのや」の酒蔵跡に整備された展示館を見学しました。秀吉時代に、善光寺本尊とともに大阪から長野の地に移ってきた経緯、蔵元の沿革や酒造りを巡る社会環境の移り変わり、技術的内容など、幅広い事柄について展示物を見ながら社長自ら分かりやすく説明いただきました。皆さん初めて知ったことも多く、大きく頷きながら聴き入っていました。

 楽しみにしていた試飲では、酵母の種類や搾り方の違いでこれほど味わいの違いがあるのかとびっくり。あれもこれもと試飲し、朝っぱらから赤ら顔で上機嫌になったところで解散しましたが、熱の入った社長の説明や多くの種類の試飲もあり、既に2時間以上経過していることにもびっくり。

 解散後は、善光寺など門前町長野市を自由に楽しみました。

(長い伝統の雰囲気が漂う蔵元「西之門よしのや」の正面入り口)

(展示室内は貴重な資料や物品がいっぱい。社長自ら整理した資料も多い)

(次から次へ試飲する皆さん。「美味い!」「なるほど、さっきと味が違う」と様々な反応が)

 参加者の皆さんから寄せられた感想をご紹介します(抜粋)。

今回は、岩松院の天井画北斎の「八方睨みの鳳凰図」が第一の目的でしたが、その原図に出会えたことがとても嬉しかったです。天井画と異なるところもあり、精緻で素晴らしいものでした。
拙くも一句「うろこ雲八方睨みの夢鳥の眼」
小布施の町もしっとりと落ち着いてとても風情のある所でした。小布施の豪農商高井鴻山あっての北斎であり、30歳以上も年の離れた二人の「先生」「旦那様」と呼び合う関係があの傑作を生みだしたであろうことを理解しました。実りあるとても楽しい旅でした。感謝!

北斎が小布施に滞在したこと、鳳凰図があること、当地にパトロンが居たことまでは知っていましたが、パトロンの高井鴻山が書画に優れ、また蒐集家でもあったことを初めて知りました。
岩松院で八方睨み鳳凰図(天井絵)を観ることができただけでなく、北斎館に多くの素晴らしい作品があるのは想定外でした。北斎は年齢と共に画風が変わる、或いは年齢に関係なく多様な画風があるのは周知のとおりで、富嶽三十六景を始めとする浮世絵、北斎漫画を観ただけでは到底その全容は分かりません。今回、これまで観たものとは趣の異なるものに多く接し、少しは北斎に近づけたような気がします。
酒造「よしのや」では社長自らご説明、ご案内、更に試飲までお付き合い頂き大変感謝しております。日本酒の論文を書き、日本酒の資格をとり、それなりに詳しいつもりでしたが、本だけでは分からないところを質問し、隠しごとなくご丁寧な回答を受けたのも大変有り難いことでした。

今回訪れた北斎最晩年の傑作と言われている岩松院天井画「八方睨み鳳凰図」。その迫力は89歳の時の作品とは信じがたい程見事なものでした。江戸から240キロも離れている小布施に、北斎は83歳になってから4回訪れ、4回目の滞在で約1年をかけて天井画を完成させたと云われていますが、そのパワーにも驚嘆しました。そして、この様な素晴らしい作品を今私達が目にすることが出来るのも、高井鴻山という“文化人”の存在があったからこその事なのだと痛感しました。
「北斎館」では、この期間『北斎の植物図鑑』と題して北斎が描いた植物の絵が多数展示されていました。図鑑の様な緻密な筆使いに、様々なジャンルで多様なモチーフの描写を可能にした北斎の多才さに、改めて感動しました。翌日の「長野市・酒造/善光寺/七福神巡り」においても、素敵な皆さんと一緒に、笑いが絶えない楽しい時間を過ごさせていただき、私にとって思い出深い二日間となりました。

「葛飾北斎を学ぶFW」に続き、今回は小布施の岩松院、北斎館を訪ねました。晩年の傑作である「八方睨み鳳凰図」の天井画は、北斎88歳から89歳の作品とのこと。80歳を超えて、江戸から小布施まで4度の往復をしていることからも、並外れた体力の人だったことが伺えます。
北斎が小布施を訪れるきっかけとなった髙井鴻山の記念館は、豪農商であった髙井家の現存する建物を利用しています。当時の蔵を展示室に使用し、鴻山を訪れた北斎や、幕末の志士が語り合ったという日本家屋も公開されています。
美術館で作品を鑑賞するのも良いですが、寺の天井画であったり、その人がいた場所を訪れることで、より北斎を感じることができたFWでした。

今回の小布施ツアー、堪能させて頂きました。事前の勉強会で学んだとおり、小布施の街の名士であった高井鴻山が、現代に至るまで小布施の町を支えていることが実感できました。晩年の葛飾北斎のスポンサーであっただけでなく、佐久間象山との付き合いを持つなど、真田家の松代藩にとっても重要な人物であったのですね。真田家が幕末に道を誤らず明治に生き残ったのも、鴻山のような人物を生む土壌があったからではないかと思いました。高井鴻山記念館で皆で車座に座って寛いだひと時は、幕末にタイムリップしたようで深く記憶に残るひと時を味あわせて頂きました。

一日目の小布施訪問では、北斎館と高井鴻山記念館及び岩松院をゆっくりと見学出来たことで、今年の1月17日にもっと会が主催された、両国で北斎を堪能するフィールドワークで感じた北斎とはまた違った面を知ることが出来ました。江戸から小布施まで約240kmあるとのことで、80歳を過ぎた北斎を小布施まで来させたのは、人や自然との出会いが大きく影響されたのではないかと、色々と考えさせられました。
二日目は自由行動の時間を多く設定していただきましたが、午前中に西之門よしのやへの酒蔵訪問は、江戸時代から現代までの酒蔵の歴史を感じ取ることも出来、思いがけず楽しい訪問となりました、お蔭で美味しい日本酒を購入することも出来ました。
学びの場を求めてプレミアム・カレッジに入ったカレッジ生にとって、ゼミナールやフィールドワークは大変印象深く、ためになる場でありました。しかしながらプレミアム・カレッジを修了した後はフィールドワークの機会がすくなってなってしまいます。そのような中で、毎年様々なフィールドワークを企画されているもっと会のメンバーの皆様には、いくら感謝しても足りません。

今回は一泊したこともあり盛りだくさんの内容に感想が絞り切れません。
岩松院の天井に描かれた鳳凰の図は、180年ほどを経ても鮮やかな色彩を失わず堂々たる姿で私たちを見下ろしていて、その下でお坊さんの丁寧な解説を聞きました。その後、北斎館や北斎を小布施に招いた高井鴻山記念館を訪ね、北斎ばかりでなく地元の名士であった高井鴻山や小布施町のことを知り、北斎が江戸から何度も訪れては制作に励んでいた当時の人々との関りにも想いを馳せました。特に岩松院の方が行くように勧めてくださった高井鴻山の自宅の二階の部屋、秘密の部屋で親しい仲間を招いて過ごす一種のサロンであったという部屋は、当時の佇まいを残していてゆったりと時間が流れるのを感じました。
翌日は造り酒屋の西の門よしのやをたずね、社長さん直々に資料館をご案内いただきました。老舗の造り酒屋ならではの興味深い歴史の解説は、もっと会のFWならではの特別な体験だと思いました。

最初に訪れた岩松院では、天井絵「八方睨み鳳凰図」を見ました。89歳の北斎が描いたこの絵は色も鮮やかで力があり、どこから見上げてもにらまれている感覚に身がすくみます。すごい画家ですが、北斎館で開催中の植物の絵も見応えがありました。北斎のデッサン力・観察力・微細な表現力に、この展覧会が「北斎の植物図鑑」と題されたことに合点がいきます。
でもこの北斎を小布施に迎え、支えたのは高井鴻山です。記念館のしおりには北斎芸術の良き理解者であり、経済的な支援者で頼もしい存在であったことが記されています。江戸から小布施まで、相当の距離があり、老体の身には大変なことだったと察しがつきますが、鴻山なくして晩年の北斎は考えられないのかもしれません。
沢山撮っていただいた写真の中で私の一番のお気に入りは、高井鴻山記念館の翛然楼二階奥の間で寛いでいる皆さんの写真です。200年を経た京風建築の建物だそうですが、大木をくりぬいて作ったと思われる火鉢が中央にあり、その部屋は風通しも良く、とっても居心地がいいのです。ここで(鴻山と北斎にならって?)しばらく歴史を感じながら、ゆったりと過ごしました。
初めて訪れた小布施でしたが、なんとも味わい深く、趣のある、忘れがたい町となりました。

 今回のFWでは、現地で観て聴いて感じて初めて理解できる“小布施ならでは”という点を感じ取ってほしいと願っていましたが、参加者の皆さんの感想からその目的を果たせたことが伝わってきて嬉しく思います。また2日間を通じ、皆さん会話が絶えず、笑顔が印象的で、楽しく学ぶ機会となったのであれば幸いです。

記: 森本 曉 (1期生)

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 4期生の野田章子と申します‍♀️
    もっと会に入会希望しております。
    どうぞ宜しくお願い致します。

  • 野田様
    コメントをありがとうございます。
    代表の1期生 関と申します。
    9月28日に、野田さんより「日本をもっと知りたい会」宛てにメールをいただきましたので、同日、野田さんへ(通称)もっと会の活動及び運営方針などの内容をメールで返信させていただきました。
    再度、野田さんのメールアドレス宛に送らせていただきますので、ご確認いただきますようよろしくお願いいたします。(できましたら、迷惑メールフォルダも確認していただければありがたいです)

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