『今度、能登に遊びに来てくださいよ~。』
旅のきっかけとなったのは今年1月。宮崎でのシンポジウム参加後、ご一緒させて頂いた真脇遺跡縄文館の高田館長の温かいお誘いの言葉でした。その誘いを頼りに、私たちは山田先生にお願いして今回のツアーを企画。富山、能登、そして金沢へ。北陸の縄文遺跡を巡る旅は、こうして幕を開けました。
《訪問先の縄文遺跡》

1日目の訪問先は、氷見市博物館、大堺洞窟住居跡を見学した後、能登の真脇遺跡へ。富山湾を能登半島沿いに北上するルートでした。
氷見市博物館は縄文から現代までのこの地で暮らす人々の生活ぶりを展示した民俗資料館です。館長には大堺洞窟住居跡までご同行頂き、ご説明を伺いました。洞窟は奥行き35メートル・幅18メートル・高さ8メートルとかなり巨大なもので、縄文時代後期から鎌倉時代まで、6層の遺物が発見されているとのこと。富山湾に面し、波の浸食でできた自然洞窟に4~5000年の長きにわたって人々が住み続けていたことに驚かされました。

氷見市から能登半島の東海岸沿いを移動し、真脇遺跡に到着。高田館長との久しぶりの再会を果たし、早速、遺跡のご説明を頂きました。真脇遺跡公園にある『環状木柱列』は近年パワースポットとして紹介され、訪れる人に神秘的な雰囲気を感じさせると評判になり観光地化しているとのこと。

この環状木柱列が何のために作られたかは想像の域を出ません。祭祀の場、あるいは住居があったのではと諸説あるそうです。2日目、3日目に訪問した先でも環状木柱列は発見されており、北陸地方特有の縄文時代の遺物だそうです。高田館長は、「環状木柱列の南北の中心線の延長線上の山の中に、お宝の遺跡が埋まっているはずだ」と仰っていました。実際に真ん中に立つと不思議な感覚に襲われたのは事実。遺跡の発掘は全体の3%しか行われておらず、いずれもっと面白い発見がされることでしょう。この遺跡では6000年前から2300年前まで、約4000年間もの間この地に縄文人が定住し、住民が協力してイルカ漁もしていた痕跡が出ているとのこと。北海道・東北の世界文化遺産の縄文遺跡群のひとつ、三内丸山遺跡ですら1500年程度の繁栄だったということですからその長さに驚かされます。
夜は山田先生が真脇遺跡にいらっしゃる時の定宿の民宿に高田館長も一緒にお泊りくださり、楽しい食事会のひと時となりました。

2日目午前中は、高田館長のご案内で能登半島の震災の被害の状況のわかる輪島市を巡りました。まずは、平家の末裔の豪農の一族の住宅跡、重要文化財『時国家(ときくにけ)住宅』。無残にも1階が屋根で押しつぶされたままでした。曽々木海岸の名物の『窓岩』も崩落してなくなっていました。『白米(しろよね)千枚田』は修復作業中。輪島朝市の建物はほとんど焼けてしまい、跡地には雑草が物悲しく生えていました。少し救われた思いがしたのは、近くのショッピングセンターで『出張輪島朝市』が開かれていたこと。全国各地からお声がかかっているそうで地元の方の頑張っている姿を目にすることができました。また、布袋寅泰と吉川晃司のバンドグループComplexからの14億円の寄付金の一部で建てられたスポーツ施設がオープンしたばかりでほっとする思いでした。ご案内頂いた高田館長の能登復興への強い思いに参加者一同深く感じ入りました。

ここから輪島を後にし、富山に戻り小矢部市の小矢部ふるさと歴史館と桜町遺跡を訪問。桜町遺跡で発見された木材は、水没して腐らずに残っていた縄文時代の柱で、高床式建物の柱と考えられています。縄文人が高床建物を建てる高度な木材加工技術を持っていたことを証明する大変重要な発見となりました。三内丸山遺跡などで復元された高床式建物や木造建築は、見つかった柱の穴の後に想像で復元されたものです。これらの復元建物の技術的根拠となったのが、この桜町遺跡で発見された木材の柱ということで、貴重な柱を見せて頂けました。
また、真脇遺跡と同様に環状木柱列の柱根が見つかり、復元が試みられていましたが、真脇遺跡のような高さがあったとは考えられていませんでした。用途も住居として使われたのではないかとこと。各遺跡で環状木柱列の用途の解釈が分かれていることは非常に興味深いものでした。

この日は富山で宿泊し、3日目は金沢に移動。金沢市縄文ワールド展示館・チカモリ遺跡・御経塚遺跡公園を訪問。チカモリ遺跡、御経塚遺跡は、共に縄文晩期の遺跡ですが、場所も近くこの地域の拠点集落跡と考えられています。チカモリ遺跡でも環状木柱列の柱根が見つかっています。前日訪問した桜町遺跡と同様に湿地帯に埋没して腐ることなく木材が発見されており、高床建物の復元を裏付ける重要な根拠となっていることがわかりました。

3日に渡る北陸縄文遺跡ツアーを終え、縄文人の木材の加工技術の高さに驚かされました。木材はすべて栗の木の巨木で作られており、建物の大きさによって材料となる栗の栽培期間も5年、10年、20年と計画的に管理されていたと考えられ、その知恵のレベルの高さを改めて実感しました。
山田先生は、次の仕事があり岐阜に向かわれるため金沢駅で解散となりました。今回の旅程はすべて山田先生の愛車、日産の最高級電気自動車アリアで移動させて頂くというご厚意に預かり、運転手までして頂き参加者一同感謝の念に堪えませんでした。
最後の金沢での夕食は、何と、金沢在住の山田幸正先生と!! ズワイガニの解禁日の翌日に先生の御贔屓の料亭で会食させて頂き、楽しいお話を伺うことができました。退官された両山田先生にお世話になり、プレ・カレ卒業生としては忘れがたい極上のフィールドワークとなりました。



(文責 1期生 深田)


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