5月にしては少し汗ばむような暑さの中、恒例の可知ゼミ、春のフィールドワークに集まったのは、可知先生と、1期5人、2期4人、4期2人、そして今回幹事の3期7人の19人(内2人はランチのみ参加)。飛鳥山公園(旧渋沢庭園)とバラの咲く旧古河庭園を散策し、最後は「源気丸」でランチ&近況報告を行っての約5時間。お互いに元気をもらいあって、楽しい時間を過ごしました。
1. 飛鳥山公園
JR王寺駅から徒歩1分、「あすかパークレール公園駅入口に10時集合。お揃いの可愛い帽子をかぶった幼稚園の子どもたちが階段を登っていく中、私たちは、アスカルゴ(あすかパークレール)に乗って、山頂駅へ。わずか2分。でも遊園地気分でご機嫌。

まずは、頂上で集合写真を撮って(最初の 1 枚)、散策スタート。飛鳥山公園は、約 300 年前八代将軍徳川吉宗が桜の名所として整備されたところ。紫陽花が咲く道を少し歩くと、1万円札でお馴染みの渋沢栄一(1840〜1931)にまつわる建物があります。1つは、清水組(現清水建設)から喜寿を祝って寄贈された洋風茶室「晩香廬」、傘寿と子爵に昇格したお祝いで贈られた「青淵(渋沢栄一の雅号)文庫、そして元々は渋沢邸(東京大空襲で焼失)があった場所に渋沢栄一の91年の生涯を辿る資料館があります。

「晩香廬」も「青淵文庫」も国の指定重要文化財。大正時代に建てられたモダンな近代建築は、暖炉には「寿」の文字がデザインされ、照明器具には長寿を願う鶴の姿があり、ステンドグラスやタイルにも渋沢家の家紋である柏の葉が施されるなど凝った意匠がみられ、賓客のおもてなしに使われた空間は、とても温かで、居心地の良いところでした。


青淵文庫の建物の前には、ぐるっと段差(溝)があります。渋沢栄一は、あの立派なお顔からは想像できませんが、身長が150センチぐらいしかなかったとのこと。欧米の賓客を迎えるとき、その身長差が感じられないように、と少し高いところに本人が立って案内をしたそうです。それを3期で実演したのが上の写真。
2. 旧古河庭園へ
渋沢栄一の91年の生涯を学んで、1万円札が印刷されている国立印刷局東京工場の前を通って、旧古河庭園へ。こちらは、元、明治の元勲陸奥宗光の邸宅だったところで、宗光の次男が古河家の養子になった時に、古河家の所有になったそうです。「陸奥宗光って何をした人だっけ?社会で習ったよね〜」などと言いながら、到着。

洋館とバラの咲く洋風庭園。この設計者は、鹿鳴館やお茶の水にあるニコライ堂などで有名な英国人建築家のジョサイア・コンドル。1877年に政府の招きで来日し、教え子には、東京駅の設計者・辰野金吾や、赤坂離宮の設計者・片山東熊が。 洋館は、現在、大谷美術館として運営されており、コンドルが浮世絵や茶道、華道、演劇、寄席など日本の文化への関心が高く、サントリー美術館で開催中の「河鍋暁斎」を絵画の師と仰ぎ、暁斎の書いた「畳に座れず、寝転んで絵を描いているコンドル」のユーモラスな絵も見られます。

河庭園のバラ園には約100種類のバラがあり、10日ぐらい前がピークだったそうですが、甘い香りと色とりどりのバラ、そして、ひとつ一つのバラにつけられたロマンチックな名前も楽しみながら、各自思い思いに散策したり、ベンチで休憩したり。ランチ前の散歩を楽しみました。

旧古河庭園には、心字池を中心とした広い日本庭園もあります。大きな雪見灯籠や大滝が周囲の緑に映えて、とてもきれいでした。京都で活躍した明治・大正期の庭師 小川植治の作庭だそうです。

3. 「源気丸」で懇親会
「もう1時だ〜!」と待ちに待ったランチに。FWに参加できなかったお二人も加わって、総勢18名。可知先生から、「今日のFWは、自然だけでなく、文化あり歴史ありで楽しかったですね。」との感想をいただき、幹事の3期は全員ホッと安堵。

乾杯のご発声でスタートした懇親会では、お刺身天ぷら御膳にビールをいただいた後、全員から近況報告。「突然の怪我・病気から恢復して参加できてよかった」、「新たに楽器を習い始めたよ」、「畑で野菜を育てているよ」、「美術館でワークショップをやっているよ」、「子どもたちの勉強を見ているよ」などなどのお話に、可知先生から「皆さん、いろいろなチャレンジをされているのはプレミアムカレッジならでは。私も大いに元気をもらいました」とのうれしい感想をいただきました。

<懇親会「源気丸」にて改めて記念撮影>
(文責:3期 奥田 高子)


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