【活動報告2026.06.25】(第41回)縁joy!日本書紀の会

開催日 : 2026年06月25日(木)
開催場所: オンライン 
出席者 : 荻野、関、増山、森本、宮嶋、深田、鈴木[入会順、敬称略]
発表者 : 宮嶋

 崇神天皇記を取りあげるのは3度目となるのですが、今回はそこに登場する『大田田根子(おおたたねこ)』について古事記に記載されている内容と比較しながら考察しました。キーワードは「①大物主神(おおものぬし)を祀る主宰者として天皇から任命 ②陶邑(すえむら)との関係」です。

 最初に『大田田根子』のプロフィールについて簡単に整理してみました。

◆名 前:(日本書紀) 大田田根子  
     (古事記)  意富多多泥古命 / (大神神社での尊称・摂社の祭神名)大直禰子命
◆出 自:(日本書紀) 大田田根子自身が崇神天皇から尋ねられた際に「私は三輪山の神である
          大物主神(おおものぬしのかみ)が活玉依姫(いくたまよりひめ)を娶って
          生んだ子供の子孫です」と、それだけを自ら語っている
     (古事記)  非常に呪術的な物語として「神婚譚(三輪山伝説)」が詳細に書かれていて
          神の神秘性や血統の尊さを強調している
出身地:茅渟県(ちぬのあがた)の陶邑(すえのむら)
     (現在の大阪府堺市から泉北丘陵周辺 ※古事記では河内国美努村)
◆末 裔:三輪氏(大神氏)、賀茂氏などの始祖

 第十代崇神天皇の時代には災害や疫病が蔓延して人口の半数が失われ、その上百姓の放浪や反乱が相次ぎ、国内に大きな混乱と危機が生じました。天皇が神々に祈ると、夢枕に三輪山の神である大物主神(おおものぬしのかみ)が現れて神託を下します。それは「この災いは私の祟りである。我が子『大田田根子』を探し出して私を祀らせれば、国はたちどころに平穏になる。」というものでした。そこで天皇は直ちに捜索を命じて茅渟県陶邑(ちぬのあがたのすえのむら)で大田田根子を発見し、彼を三輪山の祭主(神主)に任命して大物主神を祀らせたところ、疫病が収まり、国は平和を取り戻したのです。

 国の平和のために天皇も熱心に神々を祀ったのですが、疫病は一向に収まりませんでした。ところが、託宣に従って三輪山の地元の神の血を引く大田田根子を呼び寄せ、大物主神を祀る主宰者に任命したことにより、初めて神の怒りを鎮めることに成功します。では、何故天皇ではなく大田田根子だったのか?ですが、これについては「『血統と霊統』という古代の呪術的倫理を示している」と述べている文献がありました。因みに「霊統」とは、神仏や霊的存在から受け継がれたとされる血筋・系譜・正統な流れを指す言葉で、特定の宗教や霊的伝統における「由緒ある霊的な系統・家系」を意味します。これらを踏まえると、大田田根子は「父は大物主神、母は活玉依姫」で神と人との間に生まれた特別な血統となります。

 キーワード①に挙げた「大物主神(おおものぬし)を祀る主宰者として天皇から任命」については、祭祀が神に通じるためには、「祭り主は祭神と父系で結ばれていなければならない」という古代的な観念について記されている事が分かります。〔これは現在の皇室典範に通じる父系(男系)継承(皇位継承の伝統)に繋がっています〕そして崇神天皇は、倭国造(やまとのくにのみやつこ)の一人である市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)を祀る役割に任命し、八十万の群神を別に祀りました。これにより天神地祇が正しく祀られたこととなったのです。これらは、新興のヤマト王権が、古くから大和盆地にいた在来の強力な神(大物主神)とその祭祀集団を認め、国家の重要な祭祀として取り込んだ歴史的事実を反映しているのではないかと考えられます。

 次にキーワード②陶邑(すえむら)との関係についてですが、大田田根子が見つかった陶邑(大阪府南部)は、5世紀には最新の焼き物技術により日本で最大の須恵器の生産地であったことが知られています。 彼がここにいた(ここの出身である)ということは、三輪氏の一族が最先端の技術(渡来系技術や土器生産)や、河内・和泉の勢力と深く結びついていた可能性を示唆し、技術的・経済的基盤を持った一族だったと考えられます。「タタ」という音そのものが、製鉄の送風機や製鉄炉を意味する「タタラ(踏鞴)」に通じているという説が根強くあり、彼の祖先には、神武天皇の皇后となった媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)がいて、名前に「タタラ」を冠するこの一族は、古代において金属器の製造や鉱山開発に関わっていた技術集団としての側面を持っていたと考えられています。『須恵器』は日常の食器としても使われていましたが、それ以上に「国家や豪族の重要な祭祀(お祭り)で神にお酒や供物を捧げるための道具」として、圧倒的な需要がありました。そのため、お酒を醸造するための巨大な甕(かめ)、神に捧げる長頸壺(ちょうけいこ)や高杯(たかつき)など、神事の成功は彼ら技術集団が作る器の品質にかかっていたのです。

 大田田根子の登場によって、それまで天皇が兼ねていた「国家の統治」と「在来の大物主神の祭祀」が切り離され、祭祀の専門職(三輪氏)へと委ねられることになりました。これは、ヤマト王権が全国を支配していく過程で、天皇の秩序による統治の時代へ向けて各地の強力な地元の神々(地祇)を王権の中に平和的に組み込むためのものであったと考察できます。歴史的には、大和朝廷が先進的な鉄器・陶器の技術集団を傘下に収め、その神を国家の守護神として承認した、その過程を表していると思われます。大田田根子はヤマト王権が宗教的な危機を乗り越え、国家としての統治体制を次のステップへ進めるための重要人物であり、そして、彼の存在は後の大神神社(おおみわじんじゃ:奈良県桜井市)の創始へと繋がり、現在の神道における「神主」や「祭祀の世襲」の起源となったのです。

 今回大田田根子を取りあげたのは、昨年の大阪/堺FWで立ち寄った資料館で、メンバーの一人Sさんの「須恵器と大田田根子は関係がある」という言葉を耳にした事でした。歴史は大の苦手な私ですが、仲間のひと事がきっかけとなり、それが学びに繋がり、そこから好奇心や関心が広がっていくことに、縁日会における活動の面白さを実感しています。

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