2026年10月16日(金)/参加者6名
今回の課題図書
重永瞬『新しい日本地理――地図・統計・移動から読み解く』(講談社現代新書、2026年)
地図を広げれば、議論も広がる
第22回の読書会は6名の参加で開催しました。今回のテーマは「地理」。もっとも、地理といっても、県庁所在地や山の高さを覚える昔ながらの地理ではありません。地図や統計を使って日本列島を眺め直し、地域とは何か、地域を分ける境界はどこにあるのか、そして人やモノの移動によって地域はどう変わるのかを考えようというものです。
課題図書の著者、重永瞬氏は京都大学大学院で地理学を研究する若い研究者。地図や統計データを駆使し、従来の地域区分にとらわれない新しい日本の姿を描こうとしています。
しかし、同じ地図を見ても、そこから読み取るものは人それぞれ。今回も「なるほど、地理とはこんなに面白い学問だったのか」という感想から、「何が言いたいのか、最後までよくわからなかった」という率直な意見まで、評価は見事に分かれました。

地理の本を読んで、読者の意見まで東西に分かれたわけではありませんが、なかなか興味深い議論になりました。
出生率の「西高東低」はなぜ生まれたのか
最初の報告では、本書の第6章「出生率はなぜ『西高東低』になったのか?」が取り上げられました。
現在の日本では、東北地方で出生率が低く、九州・沖縄など西南日本で高い傾向が見られます。ところが、戦前には東北地方の出生率が高かった時期があり、現在とは様相が異なっていました。
その背景を、農業労働力の確保、家の跡取り、食糧生産、戦後の家族計画運動、さらには家族形態の地域差などから説明している点が興味深いとのことでした。
特に、東北地方に多いとされる多世代同居型の直系家族と、西南日本に見られる親世代の別居を伴う家族形態の違いが、現代の結婚や出産にも影響しているのではないかという分析です。
「暖かい地方は性におおらかだから」「九州は男尊女卑だから」などといった単純な説明ではなく、歴史的に形成された家族制度や社会構造に目を向けるところに、本書の特色があります。
もっとも、家族形態と出生率の関係は、どこまで因果関係として説明できるのか。統計の相関と因果を区別する必要もありそうです。
報告では、第2章の地方ブロック論にも触れられました。
明治以降の学校教育における地理は、国民に「日本」という国家のまとまりを意識させる役割を担っていました。また、戦後の全国総合開発計画などでは、人口や産業を合理的に配置するための地域区分が重視されました。
ここで丹下健三や下河辺淳の名前が登場するあたり、報告者の関心は地理学から国土計画へと広がります。
地理は単に土地の状態を記述する学問ではなく、国家が国土をどう捉え、どう利用しようとしてきたかとも深く結びついているのです。
そして、地図を自分で作ることの意義にも言及。QGISを使った東京23区の外国人分布や、500mメッシュによる東京都の性比の地図なども紹介されました。
地図は与えられるものから、自分で作り、問いを発するものへ。かつては専門家にしかできなかったことが、今ではパソコンで可能になっています。
「移動が地理をつくる」に異議あり!
今回、最も辛口だったのが、「今までで一番読む気にならなかった本」という感想から始まる報告です。
本書の結論は「移動が地理をつくる」というもの。しかし、報告者はこの考え方に強い疑問を示しました。
そもそも地域とは何なのか。
東北、九州、関東、中部などの地域には、それぞれの気候や地形、風土、文化、言葉、生活習慣など、長い時間をかけて形成された固有の特徴があります。
もちろん、交通の発達や人口移動、行政政策などによって地域は変化します。全国どこへ行っても同じような店が並び、方言も薄れ、地域の個性が失われつつあるようにも見えます。
しかし、それだけで土地の持つ力が消えてしまうのでしょうか。
「土地、土の持つ力はそんな容易いものではない。もっと強かなのではないか」
という指摘は、今回の議論の中でも印象的でした。
人が移動して地域を変えるのか。それとも、移動してきた人もまた、その土地の風土によって変えられるのか。
「移動が地理をつくる」という著者の主張に対して、「いや、土地そのものにも人間を動かす力がある」という反論です。
どちらか一方だけが正しいという話ではないでしょう。むしろ、この二つの視点がぶつかるところに、地理を考える面白さがあるように思います。
地理学者か、街歩きの達人か
続いて、重永氏の著作をきっかけに、近年の地図・地形ブームを振り返る報告がありました。
重永氏の『Y字路はなぜ生まれるのか』から連想されたのは、タモリの『ブラタモリ』に代表される、街歩きと地形を楽しむ文化です。
皆川典久氏の「東京スリバチ」、本田創氏の「暗渠」、今尾恵介氏の地図散歩、荻窪圭氏の古道散歩など、地図好きにはおなじみの名前が次々に登場しました。
興味深いのは、こうした人々の多くが、大学で地理学を専門とする研究者というより、建築士、編集者、ライターなど、 別の仕事を背景に持つ地理・地形の愛好家だということです。
さらに、彼らは『ブラタモリ』への出演や街歩き講座などを通じて、緩やかなネットワークを形成しているらしいとのこと。
報告者自身も、かつて新潮社の街歩き講座に参加した経験があり、京都発祥の「まいまい京都」と、その後に生まれた「まいまい東京」の関係にも話が及びました。
この分野の人々が集まって酒を飲めば、きっと地図を肴に何時間でも話が続くのでしょう。普通の人なら見過ごす坂道や曲がり角にも、彼らには壮大な歴史が見えているに違いありません。
そして、重永氏の今後の進路にも関心が寄せられました。
学問としての地理学を究めるのか、一般読者に地理の面白さを伝える著述家になるのか、それとも街歩きの世界で活躍するのか。
若い研究者の将来を心配しつつ期待する、人生の先輩らしい温かな視線も感じられる報告でした。

1300年前の地理書『風土記』へ
次の報告では、一気に1300年以上も時代をさかのぼり、日本最古の地誌ともいえる『風土記』が取り上げられました。
和銅6年(713年)、朝廷は諸国に対し、土地の産物や肥沃度、山川の名前の由来、古老から伝えられた伝承などを報告するよう命じました。
これが後に『風土記』と呼ばれるものです。
現在、まとまった形で伝わるのは『出雲国風土記』『常陸国風土記』『播磨国風土記』『豊後国風土記』『肥前国風土記』の5つで、ほぼ完全な形で残っているのは『出雲国風土記』だけです。
報告では、近年刊行された『風土記の歴史』や、島根県古代文化センター編集の2025年版『出雲国風土記』が紹介されました。
古代の風土記も、ある意味では国家による地域調査です。土地の産物や生産力を把握し、地名を整理し、地域の歴史や伝承を集めることは、律令国家が地方を統治するためにも重要だったのでしょう。
現代の統計調査や地理情報システムとは方法こそ違いますが、国家が土地を知ろうとする営みは、1300年前から続いているわけです。
もっとも、古代の役人にQGISを渡したら、どんな地図を作ったでしょうか。地名の由来だけでなく、神様の活動範囲まで色分けしてくれたかもしれません。
報告者は『風土記』をいきなり読むよりも、まず解説書を読んで成立の背景を知ることを勧めました。ただし、解説を読みすぎると、原典を読む楽しみが減ってしまうという指摘もありました。
なるほど、読書会の課題図書にも通じる話です。
栗と柿から地理教育まで
地図を読むだけでは飽き足らず、自分で地図を作ってきた参加者もいました。
重永氏の『統計から読み解く色分け日本地図』を参考に、農林水産省の統計を利用し、秋の味覚である栗と柿の出荷量を地図に表したものです。
地図にしてみると、数字の表だけでは気づかなかった地域的な特徴が見えてきます。
また、現在でも観光や歴史の話題でよく使われる律令制の旧国名を示す地図も紹介されました。
話題はさらに、地理と地学の関係へ。
高校では地理は社会科系の科目として扱われますが、大学では文学部に属する場合も理学部に属する場合もあります。
一方、日本は地震、火山、台風、豪雨など自然災害の多い国です。地理と地学をもっと関連づけて教えるべきではないか、という問題提起がありました。
2022年度から必修となった「地理総合」にはGISの活用も取り入れられていますが、地球科学との連携はまだ十分とはいえないのではないか。
地図の読み方だけでなく、地球そのものの仕組みを知ることも、これからの日本人には欠かせない教養なのかもしれません。暗記科目だった地理が、未来を考える道具に
最後の報告は、かつて地理が大好きだったという参加者から。
学生時代には地図で都市の位置を調べたり、『日本国勢図会』の数字を眺めたりしていたそうです。しかし、大学入試では日本史と世界史を選び、その後は地理から遠ざかっていたとのこと。
今回、本書を読んで、地理の面白さを再発見したといいます。
従来の地理は、地形、気候、産業、人口などの現状を把握し、地域ごとの特徴を覚えるものだった。しかし、本書はそこに「移動」と「時間」という視点を取り入れています。
地域は固定されたものではなく、歴史の中で形成され、人やモノの移動によって変化し続けるものだという考え方です。「マック」と「マクド」、「バカ」と「アホ」といった身近な言葉の分布まで、地域を考える手がかりになることも興味深い点として挙げられました。
さらに、参考文献として紹介されていた『日本経済地理読本』第10版も読み、従来の地域ブロック別の分析と比較したとのこと。
報告の結びは、地理はもはや単なる暗記科目ではなく、私たちがこれからどのような社会で暮らしていくのかを考えるための道具なのだ、というものでした。
地図と統計は過去と現在を知るためだけではなく、未来を構想するためにも使える。
今回の課題図書を最も積極的に評価した報告だったといえるでしょう。

2018年に考案された正積図法。国や大陸の面積比を正しく表現し、メルカトル図法とは異なる世界の姿を示している。
出典:Tom Patterson, Equal Earth Wall Map(2019年、日本語版)/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
私からは、メルカトル図法をはじめとする世界地図の図法や、地図をめぐる国連での議論などを紹介しました。
また、普段見慣れている日本列島を逆方向から眺める「逆さ地図」なども持参し、地図談義に加わりました。 私たちは子どもの頃から、北が上で、日本がほぼ中央に描かれた世界地図に親しんでいます。しかし、地球には本来、上も下もありません。 図法を変えれば国や大陸の面積の印象が変わり、地図の中心を変えれば世界の見え方も大きく変わります。
日本海を中心に大陸側から日本列島を眺めると、太平洋に面した島国という普段の印象とは違った姿が見えてきます。地図は客観的なもののようでいて、何を中心に置き、何を強調するかによって、私たちの認識に大きな影響を与えます。地図を疑ってみることも、地理を学ぶ第一歩なのかもしれません。
地理から歴史へ、そして大河ドラマへ
話題は地理だけにとどまらず、NHKの大河ドラマ豊臣兄弟にも飛び火しました。
史実と創作は、どこまで許されるのか。
歴史小説や歴史ドラマでは、史料に残っていない人物の会話や心理、出来事を創作することは避けられません。しかし、史実と異なる人物像や出来事を描くことは、どこまで許容されるのでしょうか。
歴史学者、歴史小説家、ドラマ制作者では、それぞれ立場も目的も違います。とはいえ、視聴者の多くが歴史的事実だと受け止める可能性がある以上、創作の自由だけで片づけられない問題もあります。地図も歴史ドラマも、現実をそのまま写しているわけではありません。何を取り上げ、何を省き、どのように表現するかという作り手の選択が入ります。
そう考えると、地図の図法と歴史ドラマの脚色には、意外な共通点があるのかもしれません。
おわりに――地図に境界線はあっても、話題に境界線はない
今回は、同じ一冊の本から、出生率、家族制度、国土計画、地形散歩、古代の風土記、農産物の分布、学校教育、世界地図、そして大河ドラマにまで話が広がりました。
本書への評価は決して一様ではありませんでした。
「移動が地理をつくる」という考え方に新鮮さを感じた人もいれば、土地や風土が持つ固有の力をもっと重視すべきだと考えた人もいました。
しかし、異なる見方が示されることこそ、読書会の醍醐味でしょう。
地図は一枚でも、そこから見える世界は一つではありません。
地図に引かれた境界線を越えて考えること。そして、ときには地図そのものをひっくり返してみること。
そんな楽しさを改めて感じた第22回読書会でした。
参加者は6名と少なめでしたが、話題の広がりは日本列島を越え、最後は地球を一周したような会になりました。
今後の予定
・11月27日(金)13時~ 本の紹介
・12月13日(日)10時半~ テーマ本 何か一冊、カズオイシグロの本。終了後忘年会予定。
文責(正田、小原)


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